「場所」としての廃墟

届いたばかりの『美學』234号巻頭論文、西村清和『場所の記憶と廃墟』(2-15ページ)を読む。
自分の研究は、「二次元」として表象された廃墟に注目してきたために、「身体が参画する場としての建築物」という観点が、いつの間にか抜け落ちていた。現象学に立脚した都市・建築論や、ギブソンらの認知論、さらにはピエール・ノラらによる「場所」と「記憶」を巡る議論を引きつつ、廃墟という「場所」の経験に焦点を当てたこの論文は、無自覚なままだった視点に気付かせてくれるものだった。描かれた建築物はもちろん、物理的な量塊として存在するわけでも、その中に分け入っていくような空間をもつわけでも、現実の身体によって経験できるわけでもない。しかし、代理的もしくは想像的なかたちでの、「空間の経験」や「身体性」というものも、存在しうるのではないかと思う。