廃墟のReminiscence

ふと頭の片隅に島崎藤村の「千曲川旅情の歌」の一節が浮かんできて、残りの部分が気になったので調べてみた。

千曲川旅情の歌」
昨日またかくてありけり 今日もまたかくてありなむ
この命なにをあくせく 明日をのみ思ひわづらふ

いくたびか栄枯の夢の 消え残る谷に下りて
河波のいざよふ見れば 砂まじり水巻き帰る

嗚呼古城なにをか語り 岸の波なにをか答ふ
過し世を静かに思へ 百年もきのふのごとし

千曲川柳霞みて 春浅く水流れたり
たゞひとり岩をめぐりて この岸に愁を繋ぐ
初出明治38年(1905年)

消え去った栄華の面影と、悠久の自然との間で、過去の時間に思いを馳せ、自らの生の儚さを知る――日本人による廃墟論として読むこともできる一篇である。同じように「古城」を歌った詩には、土井晩翠が作詞した「荒城の月」もある。

「荒城の月」
春高楼の花の宴 巡る盃影さして
千代の松が枝分け出でし 昔の光今いづこ

秋陣営の霜の色 鳴きゆく雁の数見せて
植うる剣に照り沿ひし 昔の光今いづこ

今荒城の夜半の月 変わらぬ光誰がためぞ
垣に残るはただ葛 松に歌ふはただ嵐

天上影は変はらねど 栄枯は移る世の姿
映さんとてか今も尚 ああ荒城の夜半の月
初出明治34年(1901年)『中学唱歌

藤村の詩とほぼ同時期に作られたこの歌詞でも、滅んだ栄華を象徴する崩れ行く人工物(古城)と、永劫不変の事物(月)もしくは循環的に再生する自然(葛、松)とが対置されている。
杜甫の「春望」も、唐代の詩ではあるが、日本文化にも浸透していた一篇である。

「春望」
国破山河在 (国破れて山河在り)
城春草木深 (城春にして草木深し)
感時花濺涙 (時に感じては花にも涙を濺ぎ)
恨別鳥驚心 (別れを恨んでは鳥にも心を驚かす)
烽火連三月 (烽火三月に連なり)
家書抵万金 (家書万金に抵る)
白頭掻更短 (白頭掻けば更に短く)
渾欲不勝簪 (渾て簪に勝えざらんと欲す)

もっとも、ここで杜甫は自分の知らない遠い過去に思いを馳せているわけではなく、都市(城=ジョウ)が戦乱で陥落した直後、まさに崩落と滅亡の瞬間にその心境を歌っている。この点ではむしろ、この杜甫の詩を引用した松尾芭蕉奥の細道』の一節の方が、より「廃墟とその時間性」というテマティックに近いだろう。

三代の栄耀一睡の中にして、大門の跡は一里こなたに有。(中略)偖も義臣すぐつて此城にこもり、功名一時の叢となる。「國破れて山河あり、城春にして草青みたり」と笠打敷て時のうつるまで泪を落し侍りぬ。
   夏草や兵どもが夢の跡

「永遠の都への自己投影」と「日本人特有の無常観」を対比させてしまうのはあまりにも安直なので、即断は控えたい。ただ、いずれの一節も、「滅亡」や「終焉」という断絶が入った後に、過去を追想する時間感覚が根底にある。廃墟(より日本的に言うなら「古城」か?)は単に古い建築物なのではなくて、「かつて存在したもの」「もはや失われたもの」の、今日まで生き残った痕跡なのである。

「古城」という表象についてオンライン検索していたら、たまたま見つけた情報。「考古学」のメタ分析は自分にとって最大のテーマでもあるし、様々な糸口を与えてくれそうだ。
「古くて綺麗なもの――美と考古学的構想力」http://www.h7.dion.ne.jp/~pensiero/study/traceology2.html
「ぎゅうぎゅうですかすかの世界」http://www.h7.dion.ne.jp/~pensiero/study/traceology.html
Original Origin 「イメージメーキングの起源」論争と始まりの哲学http://www.h7.dion.ne.jp/~pensiero/study/origin.html
3篇とも、佐藤啓介さんのサイトpensieroの論文アーカイヴから。