いなか、のじけん

乱歩の時代―昭和エロ・グロ・ナンセンス (別冊太陽 日本のこころ 88)

一昨日、ふとした切っ掛けで知って、寝食を忘れて読み耽ってしまったサイト。
無限回廊
このサイト名は有名サイトとして見聞きしたことがあるので、ご存知の方も多いかもしれない。

特に「津山三十人殺し事件」と「狭山事件」に没頭してしまった。

前者は、溝口正史の『八ツ墓村』の下敷きになったとも言われているもの。事件の概要だけを書き抜きしてしまえば、ただの猟奇事件に思えてしまうが、当時の閉鎖的で貧しい農村の、暗く湿った人間関係の情念みたいなものが垣間見えて、灰色の水が渦を巻く深淵を覗き込んだときのような、遠いところに吸い込まれていきそうな目眩を感じる。

狭山事件」は、今日ではむしろ冤罪や被差別部落問題の文脈で議論されているようだ。こちらも、もしかしたら無実かもしれない部落出身の青年が犯罪者に仕立て上げられていく、悪意に満ちた絡繰りと、関係者が次々に謎の自殺を遂げていく怪奇探偵小説めいた継起に、陰気な好奇心を掻き立てられてしまう。

「差別は不正義」というのは反論の余地もない正論で、正しさの余りすべての議論はそこで停止してしまうのだが、自分が興味を惹かれるのは、為政者が権力温存のために用意した身分制度が、民衆と呼ばれる階層の人々の心性に奥深く巣食い、再強化されていくプロセスだ。誰もが心の奥に溜め込んでいる暗い水が共振し合って、最後には巨大な怪物を生み出してしまうような、禍々しいダイナミクスといおうか。善悪二元論的な単純な「政治的正さ」の議論からはほとんどが零れ落ちてしまうような、なにか人間の「業(ごう)」のようなもの。

ちなみに、このサイトで紹介されている始めの四事件(首無し娘、玉ノ井バラバラ、神戸ミイラ、阿部定)は、『別冊太陽 昭和エロ・グロ・ナンセンス』というムック本にも紹介されていた。当時の人々の陰気で下世話な好奇心を唆り、社会的なセンセーションを引き起こしたとか。個々の事件それ自体は、特異な精神状態の人間が引き起こした異常事態でしかないのかもしれないが、警察・法曹界やマスメディアや民衆といった、一つの事件を取り巻く社会の網の目、そこに現れるその時代特有の空気の匂いや肌触りのようなものに惹き付けられる。