扉絵の系譜
これはLe Magasin pittoresqueという、19世紀の美術批評雑誌の扉ページ(frontispice)。二人のプットーが両脇を持ち上げた幕の隙間から、(おそらくマガザンピトレスクの)記事が零れだしている。
書物という擬似的・仮想的な空間へと参入していくとき、閾や扉としての機能を果たす「扉頁」、注意して見てみるとけっこう面白いのだ。
上の二枚は、フランソワ・ブロンデル『王立建築アカデミー建築講義(Cours d'architecture enseigné dans l'Académie royale d'architecture)』(1665)の扉頁。凱旋門の向こうに、一点透視図法で市街が広がる。
ちなみにこのフランソワ・ブロンデルなる人物、18世紀フランスの新古典主義の建築家として有名なジャック・フランソワ・ブロンデルとは無関係。ジャック・フランソワの主著のタイトルは、『建築講義(Cours d'architecture)』全6巻(1771-77)。オンライン検索では、相当ややこしいことに。
追記)人名事典やwikipedia英語版などでは、17世紀のフランソワ・ブロンデル(ニコラ・フランソワ・ブロンデル)と18世紀のジャック・フランソワ・ブロンデルが縁戚関係にあると書かれているけれど、白井秀和氏の論文によると、両者は全く無関係とのこと。ニコラ・フランソワは、パリのサン・ドニ門の設計に携わり、またクロード・ペロー(新派)との間で建築の新旧論争を戦わせた。
ジャック・フランソワの叔父も建築家であり、名前はジャン・フランソワ。ジャック・フランソワの息子ジャン・バティストも、建築家になっている(ちなみに、出生後すぐに死亡した長男はジョルジュ・フランソワという名だったとか)。
これはクロード・ニコラ・ルドゥー『芸術、習俗、法制との関係の下に考察された建築(L'Architecture considérée sous le rapport de l'art, des moeurs et de la législation)』(1804)の扉頁。二体の人物像柱(カリアティド)が垂れ幕を掲げている。この壁龕と思しき空間の向こう側に、ルドゥーが企図した想像上の都市空間が展開されることとなる。
こういう扉型(入り口を示唆するタイプ)の他に、記念碑型(ピラネージ、ヘームスケルク)というパターンもある。