ファッション・デザイナーのフセイン・チャラヤンが監督した映像作品『Place to passage』が、04年の春に日本で公開されるらしい。6つのスクリーンに異なる映像が同時上映されるという試みで、「通過する風景」がテーマのようだ。『エゴ・フーガル イスタンブールビエンナーレ・トーキョー』でもチャラヤンは映像作品を用いたインスタレーションを展示していたから、フィルム作成は従来の制作姿勢の延長線上にあるものなのだろう。

ただ、チャラヤンの創作態度は、ファッションの世界だけを見れば「新しさ」があるかもしれないが、一歩退いて視野を広げれば、なんだか「遅れてきたコンセプチュアル・アーティスト」といった風情を感じてしまう。現代思想や芸術批評の言語を齧った人間ならば、それなりにインテレクチュアルな解釈をチャラヤン作品から引き出して楽しむことは出来てしまうのだろうが、それ以上の「破壊力」が彼の作品にあるのかどうか、最近とみに疑問に思うところ。

トルコ側に属するキプロス島イスラム文化圏)出身のイギリス移住者という、ある意味「ポスト・コロニアル」的な出自を分かりやすく作品に反映させてしまう姿勢も、悪い方に取れば相当あざとい。

とある雑誌上の情報によると、ロンドンでのフィルム上映会の後に催されたレセプション・パーティでは、料理にケバブ(言うまでもなく、トルコの伝統料理)が出てきたらしい。なんだかな。