2017年度後期の「都市の事典をつくろう」演習のための資料。ちなみにこの演習は、「私たちの生きる「環境」であり、社会・政治・文化のあり方を反映しつつ形成される「人工物」であり、固有の記憶の場でもある「都市」。その細部における観察と発見の成果をコレクションする」という趣旨。概要は「今和次郎が提唱した「考現学」や赤瀬川原平らの「路上観察学」、その他建築史家や人類学者らによる「都市の地層に眠る記憶」を掘り起こす手法を理解する。その上で、受講者各々が自ら都市を観察し、特徴的なディテールを写し取り(スケッチ、写真、動画、フロッタージュ等、メディウムは自由)、毎回の演習時に持ち寄った上で、分類と体系化を行い、共同作業で「都市の事典」を作る」というもの。

都市の詩学―場所の記憶と徴候

都市の詩学―場所の記憶と徴候

 境界は異人たちの棲み処だった。橋や坂には遊女や乞食、呪術遣い、占卜師、芸能者といった異類の人々が群れ棲んでいた。橋は「端」、坂は「境」を含意する。そこはひだる神や産女といった神霊や妖怪が出現する他界との接点であり、この場を守護するために、坂神や橋姫といった神々がその一端に祀られた。「これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関」――盲目の琵琶法師蝉丸もまた坂の住人であり、謡曲『蝉丸』に登場するその姉「逆髪の宮」は文字通り「坂神」にほかならない。この蝉丸伝説は境界を棲まいとした異形の芸能者たちの存在を背景としている。そして、彼ら盲僧ないし僧形の芸能者たちは本来、境を守って悪霊の侵入を防ぎ、土地を鎮める司祭者であったという。
 ここで言う境界とはただの線ではない。異なる領域だけが接し合う界面だけが問題ではないのだ。そこは画定された複数の領域のいずれでもあっていずれでもない。両義的で曖昧な場所である。共同体への現実的な帰属関係や所有関係、あるいは、コスモロジカルな秩序という意味を担うことこそが、場所が「場所」であるための条件であるための条件であるとすれば、境界は場所ならざる「いかがわしさ」を漂わせている。
 聖と俗、死と生を分かつ境界線であれば、そこを横断して移行することだけが問題であればよい。しかし、境界自体が拡がりをもった空間であるがゆえに、人はこのいかがわしい場所の呪縛に囚われ、あるいはそこに強制的に追いやられて棲み処ともする。異人の存在によって境界が妖しい場になるというのではない。境界の妖しさが人を異人に変える。異なる領域への「通過」それ自体が延々と引き延ばされたこの空間に棲まう者は、聖俗、生死のいずれにも完全に属することがない。
田中純『都市の詩学:場所の記憶と徴候』、242-243ページ。)

場所は、空間的なものであるにとどまらず、意味を産出し分節化する修辞学的な性格をもつ。ゲニウス・ロキとは、歴史的な経過によってさまざまな記憶が包蔵された、重層的な意味を産出する場にほかならない。
(上掲書、90ページ。)