動物を追う、ゆえに私は〈動物で〉ある (単行本)

動物を追う、ゆえに私は〈動物で〉ある (単行本)

獣たち固有のものとは、そしてそれらを人間から最終的に区別することとは、裸でありながら裸であることを知らないことである。[…]原則として、人間を例外として、いかなる動物も、けっして衣服を身にまとおうとは思わなかった。衣服は人間の固有のものであることになろう、人間の「固有のもの」の数々の一つであることに。「衣服を身にまとう」ことは、たとえそのことが、言葉や理性、ロゴス、笑い、喪、墓所、贈与等々ほど語られないとしても、「人間の固有なもの」の他のあらゆる形象から切り離しえないものであることになろう[…]。動物は、ゆえに、裸であるがゆえに裸ではない。それはおのれが裸であるという感情を持たない。「自然のなか」に裸はない。[…]独りこのものだけが人間であるだろう、裸になれるようになることで、羞恥を知ることで、もはや裸でないがゆえに恥じらうおのれを知ることで。そして、おのれを知ることとは、恥じらうおのれを知ることだろう。動物はどうかと言えば、裸であるという意識がないがゆえに裸なのだが、それは羞恥にも破廉恥にも、等しく無縁にとどまるだろうと信じられている。そして、そのことで開始される自己の知にも。
(上掲書、19-20ページ。)