高梨豊の写真集『地名論 genius loci, tokyo』(毎日コミュニケーションズ、2000年)を購入した。

 

一九九四年からはじめたこのシリーズは、「地名」をたよりに始められた。町の名であり、川の名であり、橋の名であり、坂の名前である。本郷ならば「森川町」や「菊坂」となる。

 「界隈」を失った東京を「地名」を軸にとらえようとしたもので、いわば〈面〉から〈点〉への視点のシフトであり、空間にかわる時間的なアプローチである。マチを水平に歩くのでなく、地ベタを垂直に歩行するのである。足取りはひっきょう「歴史」への歩行となる。

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 あるとき「歴史」を「履歴」に読みかえてみる。ペラッと一枚、あの履歴書のリレキである。印画紙二枚のこの仕事にはふさわしい。そうこうあって、『地名論』は続けられた。

高梨豊によるあとがき)

記憶の時間を遡る旅も、都市のなかに連綿として息づいている地名に封じ込められている。われわれは蒔空を越えて旅をし、都市のなかにある誰も知らない記憶を探り当てたいと願うことがあるが、そのときも地名はわれわれを捉えつづける。

鈴木博之「地名論の世界――高梨豊写真集によせて」)

 

勤務先の教育振興プログラムで、いま「市川文学散歩」というプロジェクトが進行している(8月半ばには、パンフレットの配布や市川駅南口図書館での展示が始まるはず)。学生有志たちが、大学の所在地である「市川」の登場する作品を探し出し、地名や場所を特定した上で、文中でその場所がどのように描写されているのか、物語の展開上どのような役割を果たしているのかを探り、パンフレットやウェブサイト、展示物などにまとめるというものだ。昔の作品だと、現代の地名や土地利用状況とは喰い違いが出てくるので、当時の地図を探して調べたり(といっても、「今昔マップ」であらかた用が足りるのだが)、かつての地名の残骸を街角のちょっとした細部に見つけ出したりと、いわば「テクストの探偵術、都市の観相学」めいた作業が要求される。

この「市川文学散歩」プロジェクトでは、作品の解説とともに、現在のその場所を写真に撮り、パンフレットやウェブサイトに掲載してもいる。つまりそれは、都市の相貌を写す、都市の記憶を留めるという試みでもあるのだ――そこでふと、写真家の高梨豊の活動を思い出し、彼の写真集(自分の蔵書には一つもなかった)をいくつかオンライン古書店で購入してみた、という次第。

 

『地名論』の撮影時期は1994年から2000年まで。新宿、本郷、下北沢…… 私が大学進学後、東京に出てきてすぐの頃に見知った風景もとらえられている。かつては確実にそこにあった、しかし今はもう相貌を変えてしまった風景、そのなかを歩く人々。都市の粗い肌理、その手触りのようなものや、晴天の日の猥雑な匂いのようなものが、ふと写真から感じ取れるような錯覚がある。


自分が写真を撮るようになったのは、技術的関心からでも美的関心からでもなく、消えてしまう情景、失われゆく情景を留めたいという、切羽詰まった感覚からだったことを思い出した。1990年代後半、駒場寮も同潤会アパート群も、取り壊しが宣言され始めた頃である。