去年マリエンバートで』の映画の構造は、男Xが語る邸館の室内や庭園の構造と呼応しているように思われる。

 

「そしてまた、私は歩いたのです。ただひとり、あの同じ廊下づたいに、あの同じだれもいない部屋から部屋へ、私は歩いていきました、あの同じ柱廊、同じ、窓のない回廊ぞいに、同じ入口を通りぬけて、どれも似たような錯綜した通路の中から偶然のように道をえらびながら」        [1]

 

「そのホテルの庭は、樹も花もない、植物のまったくない、一種のフランス式庭園でした…… 砂利と、石と、大理石と、まっすぐな線とが、厳しい空間を、何の謎もない平面を描き出していた。最初は、そこで道に迷うことなどありえないように思われました…… 最初は…… 直線的な遊歩道に沿って、凝固した動作を示す彫像や、花崗岩の敷石の間で道に迷うなんて。だがそこで、その庭で、今やあなたは、もう永遠に道に迷いかけていた、静かな夜の中、私と二人きりで」        [2]

 

      [1]アラン・ロブ=グリエ「去年マリエンバートで天沢退二郎訳、『去年マリエンバートで/不滅の女』筑摩書房、1969年、51ページ。

      [2]ロブ=グリエ「去年マリエンバートで」139ページ。

 

 

部屋から次の部屋へとカメラが移動するとき、物語内の時間は別の時制へと飛躍している。それは観客が騙されているのではない。ロブ=グリエのテクストそれ自体が、こう指示している。

 

彼女、Aは、一歩も動いていない。この一連の画面に、やがて、新しい人々のグループがまざりはじめる。あの劇の演じられた部屋にではなくて、ホテルの他の広間、他の時に属する人たちが。

 こうして、芝居のあった部屋の画面に続いて、ホテル内部や、人々の様子など、さまざまな場所、さまざまの時間にわたる一連の画面が相次ぐ。やはり固定した画面であるが、それぞれの時間の幅は次第にひろがっていく。      [1]

 

    [1]ロブ=グリエ「去年マリエンバートで」27ページ。