【メモ】フロイト「文化の中の居心地悪さ」新訳

 

心の生活においては、一度形成されたものは何ひとつ滅びず、すべてが何らかのかたちで保存されており、たとえばその時期にまで届く退行のような機会に恵まれると、ふたたびおもてに現れてくることがある……。この想定が何を内容としているかを明らかにするために、試しに他の領域に例を取って比べてみるとよい。例としてわれわれが取り上げるのは、永遠の都ローマの発展である。[…]きっと、様々の古いものが都市の地中や近代建築の下になお埋蔵されているはずだ。[…]さて、ここで仮にローマが人間の住む土地ではなく、同じように古くからの内容豊かな過去を持った心的存在であり、そこで一度成立したものは何ひとつ没落せず、最後の発展段階と並んで以前の段階がすべてなお存続していると空想的に仮定してみよう。[…]パラッツォ・カッファレリの場所には、この建物を取り壊さずとも、カピトリヌスのユピテルの神殿が立っていよう。しかもそれは帝政時代のローマの人々が見ていたような最後の姿においてだけではなく、またエトルリアの様式を呈し陶製の鐙瓦で飾られた最初期の形で現れるのだ。[…]この空想をこれ以上引き伸ばしても、どうやら何の意味もあるまい。[…]同じ一つの空間を二つのもので満たすわけにはいかない  [1]

 

  [1]ジークムント・フロイト「文化の中の居心地悪さ」嶺秀樹・高田珠樹訳、『フロイト全集20 1929-1932』岩波書店、2011年、73-75ページ。