モードの言葉

失われた時を求めて 1 第一篇 スワン家の方へ 1 (集英社文庫)

失われた時を求めて 1 第一篇 スワン家の方へ 1 (集英社文庫)

一方彼女[オデット・ド・クレシー、後のスワン婦人]の身体つきは実に見事なものだったけれども、全体の線は容易に分からなかった(これはそのころの流行のせいで、彼女は本当を言うとパリのベスト・ドレッサーの一人だった)。それほどにコルサージュが、ありもしない腹の上に突き出たように出っぱっており、おまけにそれが急にしぼられて、しかもその下では二重スカートが風船のようにふくらんでいるので、まるでばらばらの部分からできていて、それが互いにうまくはめこまれていない女性のように見えた。またそれほどに襞飾り[ルビ:ルーシュ]や、フリルや、ベストも、その風変わりなデザインや布地のかたさに従って、まったく勝手気ままに、リボン飾りや、レースの飾り[ルビ:ラッフル]や、縦についている漆黒の房飾り[ルビ:フリンジ]などに向かう線をたどり、あるいはまた胸のふくらみに沿った線に従っていくのだけれども、それがいっこうに着ている人間の身体に合わず、こういったこまごましたものの作りだす形が、身体の線にぴったりしたり離れすぎたりするのに応じて、本人は窮屈そうだったり、身体全体がどこにあるのか分からなくなったりするのだった。
(上掲書、36-37ページ。)

この「スワン家の方へ」が執筆されたのは1913年だが、ここで語られている時代は第三共和制初期(1870年代)とされる。当時のモードだったコルセットや過剰に膨らんだスカートに包まれた女性身体は、個々の部分がちぐはぐな、身体の在処が分からないような印象を与える旨が記されている。


たまたま見つけたリポジトリ公開されている紀要論文:
勝山祐子「プルーストにおける室内装飾 : オデットの「折衷主義」 とゲルマント公爵夫人の「帝政様式」」、『文化女子大学紀要. 人文・社会科学研究』第19号、2011年、47-61ページ:http://hdl.handle.net/10457/1065