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- 出版社/メーカー: インターフィルム
- 発売日: 2014/11/05
- メディア: DVD
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「娘のヌードを撮った女性写真家」イリーナ・イオネスコの「例の娘」エヴァが制作した自伝的映画。己の芸術観に思春期じみた選民意識を持ち、実の娘さえも自分がつくり出す「美しい」世界を完結させるためのパーツ扱いで、一個の自我を持つはずの彼女の人生を呑み込んでしまおうとする母親と、初めは嬉々として母親の望む唯美的誘惑者を演ずるも、次第に反抗心を強め、最後は母親のもとを逃げ出していく娘の物語。この母親はそもそも世界に「他者」がいないタイプで(おそらく自己愛性パーソナリティ障害とかその類の)、娘のことも彼女なりの、独善的すぎるやり方で愛していたのだろうとは思う。まあ、それ自体はありふれた「母娘の葛藤」や「《毒になる親》との闘い」の物語ではある。
この映画に(およそ映画史に残る種類の作品では無いにも関わらず)見るべき部分があるとしたら、それは「カメラ越しに写真を撮る」という映画内の行為と、映画を撮るという行為そのものが、重ね合わされつつも逆向きのヴェクトルを持っているところではないだろうか。かつて母親は娘を領有するために、カメラを構え写真を撮った(機械越しの眼は他者を我有化する手段となる)。今度はその娘が、母親との関係、それから自分自身の人生を、他者の物語として語り直すことで自分自身から切り離すために、一本の映画を撮影する(機械越しに見ることで、他者化や切断を行なう)。
日本公開時に話題になった通り、室内装飾や衣装、写真撮影用セットに用いられる小物には、毒のある甘美さと耽美的でデカダンな妖婉さがあって、眼の奥にオブジェとテキスタイルのリストを作っていくだけでも恍惚感がある(実際、衣装デザインを手掛けたキャサリン・ババは、ヴィンテージ・クロージングの扱いに定評のある大物スタイリストらしい→http://matome.naver.jp/odai/2141579089294841101)。しかし、台詞のレベルでは母親の信奉する美意識は徹底的に薄っぺらい紋切り型でしかなく、バタイユですらカリカチュアじみた扱いだ。(少なくとも日本では)カルト的な人気のあるイリーナ・イオネスコの世界は、ここでは徹底して矮小化されている。
母親役のイザベル・ユペールは言うに及ばず、子役にも相当な芸達者を起用していて、彼女たちは始終怒鳴り合ったり泣き喚いたりしているのに、人物の心理状態やその変化が今ひとつうまく伝わってこない脚本で、それは単純にエヴァ・イオネスコのスキルや経験の不足からくるものなのだろうけれど、「自らの過去を語り直すことで切り離す」という営みは、なにか欠落(あるいは過剰)を抱えた形でしか為しえないのかもしれない、そんなことを考えた映画だった。
関連写真集
- 作者: イリナイオネスコ,Irina Ionesco
- 出版社/メーカー: エディシオントレヴィル
- 発売日: 2004/09
- メディア: 大型本
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