客体としての男性(homme objet)について

・ジャン=ポール・ゴルチエ、メンズプレタの初コレクション「l'homme objet (Boy Toy)」(1984年)について語る

A year later [in 1984], men wear skirts and prance about sporting outfits cut low in the back. "A piece of clothing doesn't have a gender, unless it hugs the body very tightly," explains Jean Paul. "Why wouldn't men be just as seductive as women? What's more, they've changed, they're no longer John Wayne-type machos. I made them into boy toys."
(Brigitte Cornand & Jean-François Bizot, "A True Story of Jean Paul Gaultier," in The Fashion World of Jean-Paul Gaultier, 2011, p. 89.)

三島由紀夫と「男性の客体性」

男はなぜ、壮烈な死によってだけ美と関わるのであろうか。日常性に於ては、男は決して美に関わらないように注意深く社会的な監視が行なわれており、男の肉体美はただそれだけでは、無媒介の客体化と見做されて賎しまれ、いつも見られる存在である男の俳優という職業は、決して真の尊敬を獲得するにいたらない。男性には次のような、美の厳密な法則が課せられている。すなわち、男とは、ふだんは自己の客体化を絶対に容認しないものであって、最高の行動を通してのみ客体化されうるが、それはおそらく死の瞬間であり、実際に見られなくても「見られる」擬制が許され、客体としての美が許されるのは、この瞬間だけなのである。特攻隊の美とはかくの如きものであり、それは精神的にのみならず、男性一般から、超エロティックに美と認められる。しかもこの場合の媒体をなすものは、常人の企て及ばぬ壮烈な英雄的行動なのであり、従ってそこには無媒介の客体化は成り立たない。このような、美を媒介する最高の行動の瞬間に対して、言葉はいかに近接しても、飛行物体が永遠に光速に達しないように、単なる近似値にとどまるのである。
三島由紀夫『太陽と鉄』講談社、1968年、74-75ページ。引用に際して新仮名遣いに改めた。)