今年度はHAKURONもようやく終わったし、映画的教養とアニメ的教養を高める時期にしたいと思っている。そんなわけで、4月1日以降に見た作品のメモ。
【映画】
・『寺山修司実験映像ワールド 2』より:
「迷宮譚」(1975年)「ドア」でフレーミングされた風景が、入れ子状の画中画(映画内映像)というメタ構造を作り出す。
「疱瘡譚」(1975年)イメージの触覚性、スクリーンの上で重ね焼きやコラージュされる複数の映像。観者(カメラ)と映像内の人物を区切る透明のガラスや、特定のオブジェを縛り付ける紐は、イメージの不可触性や機能不全の象徴か?


「審判」(1975年)「釘」というモティーフへのオブセッション。スクリーン上、というか映像の上に釘が打ち込まれる。映像の表層性、物質性、触知(不)可能性を問うたもの。
上記3作とも、映像・映画というイメージの態様への自己言及的な問いがテーマとなっている。

黒沢清
『LOFT』、『ドッペルゲンガー』、『叫』、『神田川淫乱戦争』
「シネフィルの人たちがやたら押しているよね」、「日本映画ブームの立役者の一人だよね」と認識しつつも、何となく見る機会がなくて素通りしてきた黒沢清。「廃墟映画」の一変種として以前にお勧めを受けたのをきっかけに、今回見てみたら、これがヤバいくらいに面白い。



特に映画監督デビュー作の『神田川淫乱戦争』、全体的に画面はヌーヴェル・ヴァーグ時代のゴダールを意識した雰囲気だが(それに加えて、ヒッチコックの『裏窓』?)、それが昭和50年代の神田川界隈の畳敷きの下宿と、ピンク映画女優+素人役者陣のリアルな肉体で再演されると、ゴダールの計算され尽くした映像美とはまた別の、妙な魅力がある。女の子二人組が、身の回り半径10メートルくらいの小さな範囲で「世界を壊そう」と不条理に暴れ回る、という点ではヴェラ・ヒティロヴァ『ひなぎく』にも似ているんじゃないだろうか。向いの浪人生(昭和のある時期、「浪人生」という抑圧されたモラトリアム期の青年は、一種の「クリシェ」として通用していたように思う)が、密室での母子近親相姦から逃げ出す、フロイト的というよりは寺山修司的なストーリーも描かれている。屋上で青姦に興ずるヒロインと浪人生が転落死するラストは、いかにも不条理で(というか、映画全編を通して登場人物たちの行動は、突発的で合理的な理由を欠いた不条理なものなのだが)、それゆえに妙な解放感がある。

「ホラー映画」に分類されがちな他の作品も、映画内空間の描き方がとりわけ面白い。日常的な生活や職務のための空間が、打ち捨てられて特定の機能から解放された「廃墟」のように描かれている。『LOFT』、『ドッペルゲンガー』、『叫』とも、「廃墟」に住まうのは独身者たちで(役所広司はとりわけこういう役にはまっている)、「独身者たちの空間としての廃墟的室内」というテーマから黒沢清を論じられそうな予感がしている。各作品とも、ときおりハンマースホイhttp://ecx.images-amazon.com/images/I/61g2pO9UvNL._AA300_.jpg)みたいな構図と色調・陰影で室内を映し出すときがあるけれど、あれはこだわりなのか。

【アニメーション】
・『魔法少女まどか☆マギカ』(深夜アニメ版):一昨年の表象文化論学会大会シンポジウム(http://repre.org/repre/vol16/conference07/special01/)でのラマール氏と石岡氏のトークを聞いて、一度見てみたいと思っていたもの。背景空間が、なんだかCADソフトを適当に使ったみたいな不自然さなのだけど、それが独特の効果を生んでいる。戦闘少女・魔法少女ものも、思春期特有の無能感と幼児的自己愛とのせめぎ合いを描いたアニメも数多あるので、このシリーズはむしろフォーマリスティックに分析した方が面白いんじゃないかと思う。

押井守攻殻機動隊 GHOST IN THE SHELL』:背景美術も物語内のテーマ系も、全体的にリドリー・スコットブレードランナー』へのオマージュ? 「擬体」と「電脳」でサイボーグ化した草薙素子が、白人的でグラマラスな風貌で描かれているのが興味深い。二作目の『イノセンス』になると、「澁澤龍彦によるハンス・ベルメール」的な少女幻想としての人形愛路線なんですよね。正宗士郎の漫画版だと、この草薙素子は女性ともセックスするエピソードがあると聞き、「femme-objet(男性主体の欲望の一方的な投影対象としての女性イメージ)としての人造美女」という伝統的な系譜に対するアンチテーゼとして面白いんじゃないかと思っている。

・『新世紀エヴァンゲリオン(劇場版) Airまごころを君に
テレビ放映当時から散々指摘されてきたことだろうけど、かつては純文学、とりわけ私小説と呼ばれる分野の専売特許だった「思春期・青年期の内面的、ないし自閉的な苦悩と葛藤」というテーマは、いつからか完全にアニメに譲り渡されたのだな、と実感。「汎用人型決戦兵器人造人間」だというエヴァンゲリオンの形状がやたらと可塑的・可変的で、それと生身の人体であるパイロットとのインターフェイスがどうなっているのかが気になる。エヴァの左目が攻撃されると、パイロットも左目を押さえるし、最後には内臓が露出して目玉が流れ落ちるという、機械ならあり得ない壊れ方をする。

講義で「イメージ研究の方法論」や「ボディ・イメージの系譜」を、また学会パネル発表としてポストヒューマンとジェンダーの問題を扱うので、その材料集めというのもあり。