ゲオルク・ジンメル(1858年-1918、独の哲学者・社会学者)「女性と流行」1908年

流行においては、一様性衝動つまり模倣への衝動と、個性化衝動つまり突出への衝動とがきわだった形で同時的に現れている。一般に女性たちは流行へのこだわりが強いものだが、その理由はこれにより説明できるであろう。女性たちは有史以来、圧倒的に弱い立場を宿命づけられてきたが、社会的な立場が弱い場合には、「良風美俗」との密接な結びつきが見られる。一般的に流通し承認されたありかたとしての「ふさわしさ」との結びつきである。弱者は、個性化を避けるからである。責任をともなう自立したありかたを避け、自分の力だけで自分を守る必要が生じないようにするのだ。[…]ところで、女性たちは「良風美俗」のゆるぎない支えがあるところで、つまり一般的水準の人並みがあったうえで、相対的にできるかぎりの個性化と私的個性の突出を切瑳琢磨してはめざしている。
ゲオルク・ジンメル「女性と流行」、『ジンメル・コレクション』北川東子編訳、鈴木直訳、ちくま学芸文庫、1999年、56ページ。)

ジンメル・コレクション (ちくま学芸文庫)

ジンメル・コレクション (ちくま学芸文庫)


アドルフ・ロース(1870-1933、墺の建築家)「装飾と犯罪」1908年

子供は道徳と無関係だ。パプア人もまた、我々の目からすると、そうだ。[…]パプア人は刺青をする。自分の肌にも、自分のボートにも、その隗にも、要するに自分の身の回りのものすべてに刺青をする。それでも犯罪者とはいえな。だが刺青をする近代人は犯罪者か、それとも変質者である。[…]
自分の顔を飾りたてたい、そして自分の身の回りのものすべてに装飾を施したい。そうした衝動こそ造形芸術の起源である。それは美術の稚拙な表現だともいえよう。また芸術はすべて、エロティックなものだ。[…]文化の進化とは日常使用するものから装飾を除くということと同義である。[…]我々は装飾を克服したのであり、装飾がなくとも生きていけるようになったのである、と。[…]間もなく、都市の街路という街路が白壁のようにひかり輝く日がくることだろう。
アドルフ・ロース『装飾と犯罪――建築・文化論集』伊藤哲夫訳、中央公論美術出版、2005年、90ページ。)

装飾と犯罪―建築・文化論集

装飾と犯罪―建築・文化論集

昔の一般市民達は、色とりどりの服装によって、個性を主張しなければならなかったが、近代人は服装を仮面(Maske)として用いる。
(同上、104ページ、一部訳語を改めた。)

・ロース「紳士のモード」1898年

ドイツ人でも上流階級の者はイギリス人に同調する。彼らはきちんと装えば満足だ。華美な格好よさは否定される。[…]きちんとした服装をすること、これはいったいどういうことだろうか? それは正しい身なりをするということだ。[…]ことの本質は、どれだけ目立たない格好をするか、ということにある。[…]この原則を過不足なく公式化するとこういうことになる。「ある服装が今日的であるということは、文化の中心の最上級社会において、その時々に応じ、可能な限り目立たない場合においてである」と。
アドルフ・ロース『虚空に向けて アドルフ・ロース著作集』加藤淳訳、アセテート、2012年、68-69ページ。)
版元サイト:http://www.acetate-ed.net/bookdata/021/021.php

・ロース「女たちのモード」1902年(初出不明)

われわれの文化が今世紀に経験した力強い発展は、幸福にも装飾を過去のものにしてみせた。[…]文化レベルが低ければ低いほど、それだけ装飾が厚かましくでしゃばることになる。装飾とは克服されねばならないものなのだ。パプア人と犯罪者は、入れ墨で自分の身を飾り立てる。インディアンは舵もボートも装飾で覆いつくす。しかし自転車と蒸気機関には装飾がない。進歩している文化は、装飾をほどこされたものをどんどん排除していくのだ。
(同上、165ページ。)

・ロース「工芸の展望Ⅰ」1898年

ドイツの服飾には非常に多くのヴァリエーションがあり、その点で、ドイツ人はすべての文化民族の中でもっとも非ギリシャ的であると言える。逆にイギリス人は、ひとつのスーツ、ひとつのベッド、ひとつの自転車しか持ち合わせない。最良であることが、イギリス人にとっての最高の美なのだ。そのため彼らは、ギリシャ人のように最高のスーツ、最高のベッド、最高の自転車しか選ばない。
(同上、39ページ。)

・ロース「建築について」1910年

だが貴方には、人間の外観と建物の外観とが奇妙に重なり合う、これが気になったことが一度たりともなかっただろうか?
(ロース『装飾と犯罪』129ページ。)