映画的経験としての列車からの眺め

そのとき窓ガラスの枠のなかにあらわれた黒い小さな林の上に、えぐられたようにくぼんだ雲が見えた。やわらかいうぶ毛を思わせるその雲のバラ色の部分は、そこに固定され、生命を失って、まるでそれを吸収した鳥の翼の羽毛を彩るバラ色か、あるいは画家の風変わりな思いつきでその色がおかれたパステル画のように、もう二度と変わることがないように見えた。[…]やがてその色の背後に、光が貯えられ積み上げられた。色は生き生きとしはじめ、空は鮮やかなバラ色に染まり、私はガラスにはりつくようにして目をこらした。この空が、自然の深い存在と関係があるように感じたからだ。けれども線路の方向が変わったので、汽車は弧を描き、朝の光景にとって代わって窓枠のなかには、とある夜の村があらわれたが、そこでは家々の屋根が月光に青く映え、共同洗濯場は夜の乳白色の真珠の帳におおわれ、空にはまだびっしりと星がちりばめられているのだった。そしてバラ色の空の帯を見失ったのを私が悲しんでいたとき、ふたたびそれが、今度はすっかり赤くなって反対側の窓のなかに認められたが、それも線路の第二の曲がり角でまた窓から消えてしまった。だから私は、一方の窓から他方の窓へとたえずかけ寄りながら、深紅で移り気なわが美しき朝の空の間歇的で対立する断片を寄せ集め、描き直し、こうして全体の眺めと、連続した一枚の画布とを手に入れようとつとめるのであった。
マルセル・プルースト失われた時を求めて(抄訳版)」第I巻、鈴木道彦編訳、集英社文庫、2002年、341-342ページ。上掲の引用が収められた「花咲く乙女たちのかげに」は1919年刊行。)