思考の屑篭

多木浩二はフランスの地理学者ルプティを引きつつ、サン・テティエンヌという小都市に関する記述に見られる時間性・空間性が、18世紀前半と後半ではラディカルな変質を被ったことを指摘している。すなわち、1718年には、この都市は時間と空間の中に固着し、城壁の「内」に閉じられた不動の実体として描写されている。しかし1771年には、城壁の「内外」を基準とするコスモロジーは崩壊し、都市内部の機能的活動によって記述されることとなる、というのである。この二種類のディスクールを書き出してみよう。

1718年のサン・テティエンヌの記述:「それは住民がシャルル7世から城壁を巡らす許可をうるまでは小さな町にすぎなかった。それから手工業が大勢の人間をその町にひきつけるようになり、いまでは18,000人を超えるにいたった」
1771年の同じ町の記述:「その驚くべき発展を商業に負うている。それはシャルル7世の治世下では、小さな町にすぎなかった。その広がりは今日では1444年に住民がめぐらせた城壁の最初のかこいの十倍にも達している。城壁は殆ど痕跡しか残っていない。
(多木、1985年、358ページ)

多木はこの変質を、17世紀から18世紀にかけて諸科学の中で生じた形態論から機能論への移行とパラレルなものとして捉えている。これを言い換えるならば、スタティックで無時間的な(あるいは時間停止した)描写から、「変化」や「動き」を内包した描写への変化である。