3Dが売りの作品だが、残念ながらDVDでの鑑賞。ストーリー自体はステレオタイプだけれど、CGで描き出された「パンドラ」の情景の美しさと、モーションキャプチャーによって再現されるキャラクターの動き(特に表情)の精緻さが凄い。肌の表面の肌理や小皺、毛穴まで再現されている。(ただ、瞳の動きは最後まで不自然に感じてしまった。人間が相手の表情を見る上で重視するポイントであるにも関わらず、モーションキャプチャー等の手段による再現ができないからだろうか。)最初は「不気味さの谷」に陥っているように思えたCGキャラクターの方が、終盤では生身の人間より美しく見えてくるという転倒が起こる(これが米国で喧伝されているという「アバター症候群」なのだろうか?)。
主人公自身が語るユートピア冒険記、酋長の娘と恋に落ちて味方に寝返る白人入植者、西洋近代の帝国主義と自然破戒(米国に特化して言うなら開拓時代からヴェトナム戦争、そして反テロリズムまで)への批判、というストーリーに落とし込むと、(おそらくは散々批判されているであろう通り)平凡な映画という評価になってしまうであろう。しかし、現実の世界では「頭脳派からは小馬鹿にされ、頼みの身体能力も負傷によって失ってしまった傷痍兵」でしかない男が、リアルとコネクトされつつも半ばヴァーチュアルでもあるような世界では、権力と他者からの承認、そして美しい女性からの特権的な愛情の全てを入手することができ、最後には現実に帰還することができなくなってしまう物語(リア貧ネト充男の描く夢想世界?)として捉えると、なんだか薄ら寒いような気もしてくる。
つい最近まで、この手の近未来モノに出てくる「ラボのコンピュータ」は、DOS形式なのかキーボード操作をカチャカチャすると画面が切り替わるというものが多かったが、『アバター』ではそれこそiPhoneiPadのようなフリック形式になっていて(しかも半透明のモニターは持ち運び可能な形態)、時代の流れを実感する。
カフカの「城」 [DVD]

カフカの「城」 [DVD]

カフカ『城』の根本的な要素である「到達の遅延、もしくは不可能性」が、様々なモティーフを通して延々と展開される。「(伝令の)手紙」はもちろん、ここでは「電話を架ける」シーンもしばしば登場する(メッセージを伝える手段の迂遠な間接性)。道を歩くシーンは真横から撮られていて、行き先もこれまでの行路も観者には示されず、動いているにも関わらず「城」に到達できないというテーマが反復される。
この作品では、主人公の測量士Kが「眠っている」シーンも多いが、これもまたカフカ的なテーマの一つであるだろう。
ワンシーンの切替が遅く、カメラワークも展開も緩慢で、しかもナレーションも説明的で長い(小説の地の文を朗読しているのだから当然なのだが)という、徹底的に「退屈」な映画だが、この単調な遅さこそ、カフカの特質を巧みに捉え、映画というメディアによって再現した帰結なのだと思う。