18世紀と解剖学

また、人命を救うことは少なかったが、十八世紀の医学的実践には、独創的で立派な部門が一つあった。外科医は、「なぜ」かを知る必要がないという利点をもっていたのだ。彼らは肉体をデカルト的機械として考え、解剖によって肉体の接合部分を研究し、生体を扱う以前に、死体を使って実験をしたりすることができた。ながらく解剖学的研究は敬意の的になっていた。造物主の手仕事の驚異を明らかにし、死にたいする好奇心を刺激したからである。ルイ十四世の時代には、新しもの好きの人たちは解剖を見物に行ったし、人体組織の保存技術が発明されてからは、もっと鑑賞に耐える博物学の標本も擁した「解剖学陳列室」が流行した。国王や貴人が死んだときには解剖をするのが通例になっていた。これは他殺かどうかをチェックするための慣例的な措置であったが、そのおかげで解剖学者の腕は上がった。医学生が夜の闇にまぎれて墓地を襲ったという話はたくさんあるし、ときには民衆の偏見が爆発するようなこともあった(1767年にリヨンで、1782年にはカンで暴動が起こった)が、解剖実験にたいする宗教の側からの偏見はなく、法も、行政官や病院の管理者に10月から4月までの寒冷期には死体を利用可能な状態にしておくことを奨励した。研究のために献体を行うのはまだ一握りの熱心な人たちだけであったが、こういった行動はまれにみる愛国的行為として是認された。教養ある人々の支持を背景にして、十八世紀を通じ、外科用具および技術のめざましい進歩がみられた。
(ジョン・マクマナーズ『死と啓蒙――18世紀フランスにおける死生観の変遷――』小西嘉幸・中原章雄・鈴木田研二訳、平凡社、1989年、53-54ページ。)