シティダスト・コレクション―テクノロジーと空間神話

シティダスト・コレクション―テクノロジーと空間神話

「都市の経験」という言葉を、私自身も割と安易に使ってしまうけれど、「今生きているこの私」にとっての「都市の経験」とはいったい何なのだろうか?「都市」は、個々の建物や道路、出会う人々、自らの視界が捉えうる範囲での「風景」などのシークエンスとしてしか、経験できないのではないだろうか。そもそも「都市」という総体の外縁は、どこにあるのだろう?例えば私はS区に住んでいるけれど、それを「東京という都市の経験」と言い表すことは適切なのだろうか。上掲の書に、「〈私〉が都市と〈つき合っている〉」という一節が出てきた(48ページ)ので、ふとナイーヴな思索に耽ってしまった。