書物としての大聖堂

ユゴーの『ノートルダム・ド・パリ』中の建築描写に対する関心から、他の文学者における「テクストの中の建築」にも手を広げる。手始めに、プルーストバタイユから。「建築物」というよりも、彼らにとって重要なのは「大聖堂(カテドラル)」なのだ。当然これは宗教性を帯びた空間であり、また(特にフランスにおいてゴシック式のカテドラルは)過去に対するナショナルな概念とも結合しているから、その点も考慮に入れておく必要がある。

プルースト評論選〈2〉芸術篇 (ちくま文庫)

プルースト評論選〈2〉芸術篇 (ちくま文庫)

大聖堂についての寸評が収められている。大聖堂が修復・再建されたときに甦るのは何か?建築論という以上に、カトリシスムに対する論考。


ランスの大聖堂 (ちくま学芸文庫)

ランスの大聖堂 (ちくま学芸文庫)


聖堂の現象学―プルーストの『失われた時を求めて』にみる

聖堂の現象学―プルーストの『失われた時を求めて』にみる

失われた時を求めて』が、テクストにおいて建築空間や大聖堂を「建てる」営為であったことを明らかにしている。


大伽藍―神秘と崇厳の聖堂讃歌 (平凡社ライブラリー)

大伽藍―神秘と崇厳の聖堂讃歌 (平凡社ライブラリー)

未通読の作品を挙げるのも不誠実だが、近代フランス文学における「書物と大聖堂」というテマティックを考える上では、おそらく外せない作品だと思われる。


自分の「(病んだ)身体としての建築」という関心に近いのは、むしろゴーティエが『スペイン紀行』で描写する、地下納骨堂にミイラを収めた寺院だろうか。

Voyage En Espagne

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