ジャン・コクトーの『オルフェ』(1949年)を観る。ギリシア神話に登場する詩人オルフェウスの冥界巡りを、現代(最初の戯曲執筆時は1926年)を舞台にリライトしたもの。「鏡」がテーマの映画を挙げるならば、必ず言及されるべき作品だろう。此岸と彼岸の境界としての「鏡」というテーマは、例えばルイス・キャロル(『鏡の国のアリス』)でも既出だが、鏡を通り抜けようとする際に、硬質なガラスという物質が液状化し、映し出された鏡像が波紋で歪む、という趣向が面白い。死を司る「王女」と亡くなった青年詩人セジュストが部屋の鏡の向こうに消えた後、主人公オルフェが
気絶から醒めると、泉の上に半身を投げ出すようにうつ伏せており、その顔がナルシスのように水面に映っている。ウルトビーズが差し出す「王女」の手袋を身に着けて鏡を触ると、その表面が波立って、通り抜け可能な「扉(porte)」と化する。鏡は液状化することで、「異界」(死者と生者の中間領域にあるパサージュ)へとオルフェを導くのである。ギリシア神話では、死者の国から帰還途中の妻を、オルフェウスが「振り返って直接見る」ことで禁を破るのだが、このフィルムでは自動車のバックミラーに映った妻ユリディスの顔を見てしまったことが破戒となる。冒頭、オルフェを乗せた「王女」の車が屋敷へと走るシーンで、まず運転手を務めるウルトビーズの顔がバックミラーに映し出され、それからカメラが次第に後退して、後部座先に後ろ向きに座るオルフェが、バックミラーと相似形を為す後部ガラスの窓枠越しに見えるショットとなる。バックミラーにユリディスの顔が映る後半のクライマックスを、暗示するかのような一場面だ。
「生き返った妻の顔を見てはならない」という試練の途中に、オルフェが雑誌に掲載された妻の写真をうっかり見てしまい、ウルトビーズに「写真は大丈夫だ」と取り成される場面がある。同じ愛する者の「イマーゴ」でも、コクトーにおいては、写真はあくまでも模像(偽物?)であり、対して鏡に映る反映像は本人の等価物となるようだ。
モノクロ映画というメディアの特質もあり、中間色の服を着た人物の存在感は薄くなり、反対に純白や漆黒は非常に目立つ。冥界からの死者たち(「死神」である「王女」、ウルトビーズ、セジュストやユリディスを死に至らしめるバイク乗りたち)はくっきりとした白か黒の衣装を纏い、反対に「生の国(l'autre monde)」に属していた者たち(オルフェ、ユリディス、セジュスト)は、ぼんやりとした中間色の衣服である。「王女」が怒りを爆発させ、逆光に照らし出されるシーンでは、漆黒だったはずの衣装が一瞬純白になるのが面白い。
最後、ウルトビーズの念によってオルフェとユリディスは時間を遡り、幸福な「生」の世界へと帰還するが、その際にはかなり長時間に渡ってフィルムの逆送りが行われている。一度死んだオルフェが冥界の通路の果てに辿り着いた時点を軸に、時系列が「鏡像反転」するのだ。ここにも、「鏡」のテマティックを見て取ることが可能だろう。後半の「時間遡行」は、基本的に前半の「冥界行き」シーンの逆送りなのだが、手袋の着脱のシーンだけ、前半部(オルフェの手に「王女」の手袋が不自然なモーションで貼りつく)が後半部(オルフェが手袋を脱ぎ捨てる自然な動作)の逆回しになっている。逆送り技術が醸し出すぎこちない「不自然さ」は、この映画が醸し出す、いくぶんユーモラスな幻想性の源泉でもあるだろう。
コクトー作の映画というと、過剰に「芸術的」と思いがちだが、今日の視点からみると思わず噴き出してしまうようなシーンもたくさんある。オルフェを導くウルトビーズの、明らかに台車の上に乗っていると分かる滑らか過ぎる動きとか、二度目の冥界巡りの際の、余りにもわざとらしいワイヤーアクションとか、逆回しで割れた鏡が戻る際の不自然さとか。紋切り型の「悪女」でありつつ、オルフェに心奪われてしまう「王女」(マリア・カザレス)、妻を愛しつつも「王女」に引かれていく天才肌の色男オルフェ、一心に夫を慕う健気な「炉辺の天使」系の妻ユリディス、そのユリディスを深く愛し支えようとする「番頭」的キャラクターのウルトビーズという四角関係は、舞台設定や演出を少しでも誤ると、途端に通俗的なメロドラマになってしまいそうだ。コクトーの「お気に入り」であり、後年には彼の養子になったというエドゥアール・デルミット、コクトー映画にはよく出演しているが、お口ポカン気味で気の良い兄ちゃんといった風体のリアル過ぎる風貌が、コクトー的世界に調和していないように思えて仕方が無い。まあ、Chacun ses goûtsということなのだろう。
完全な余談だが、ザイン・グリフのミュージック・クリップに、鏡のシーンや回廊を走るシーンなど、微妙にこの『オルフェ』を借用していると思われる作品がある。高橋幸宏ケイト・ブッシュ、ハンス・ツィンマーといった名だたる面々がサポートに名を連ね、本人も歌もダンスもそこそこ上手く、何よりニューロマ勢の中では最も正統派の端整な容姿だったにも関わらず、所属事務所の経営難と同時に業界から姿を消してしまったというグリフ、謎の人物である。彼はいかにもヴィスコンティが好みそうなタイプだが、たぶんコクトーの好みではないと思う。(ついでに私の好みでもない。)