もはや「誰の得になるんだ?」という感じだが、気付いてしまったので。
  
ヴィスコンティ作『地獄に堕ちた勇者ども』での、ナチス高官が自動車から降りるシーン(左の動画の冒頭)が、右のPVの50秒近辺で「引用」されている。肩章付きのベルテッドジャケットに、膝上が膨らんだ乗馬ズボンとブーツの組み合わせも、ナチスの制服をさり気なく模倣しているようにも見える。
自分自身の内部構造を分析しても詮の無いことだが、私は「動物的」に対象に「萌える」ような存在としての「オタク」ではなくて、情報のコレクターなのではないかと思う。Visageのイメージクリップの引用元探しから、スティーヴ・ストレンジがハロッズで万引きしたテレタビーズ人形が、果たして何色の子だったのかという類の事柄まで、情報を探し出して集積していく作業が楽しくて仕方がない。「動物的オタク」がポストモダンの一つの徴表であるとするならば、私は未だ「モダン」に留まっているのかもしれない。
ニューロマンティック繋がりでもう一つ。JAPAN時代のデヴィッド・シルヴィアンに纏い付く、一抹の「小恥ずかしさ」の正体は何だろうと考えていて思い当たったのが、彼は余りにも「昭和時代の少女マンガの王子様」的だということ。あのわざとらしいブロンドなど、さながらキャンディ・キャンディのアンソニーのようである。JAPANというバンド自体、擬似同性愛めいたステージパフォーマンス(演奏中にメンバー同士が背中合わせになったり、体を寄せ合ったりする)や、絶妙な「キャラ」の割り振り具合からして、ボーイズ・ラブや乙女ゲームの定石を先取りしていた感もある。と思って少し調べてみたら、草創期のBL/ヤオイ文化において、JAPANメンバーの三角関係(ギタリストはどうやら蚊帳の外らしい)は非常に人気のあったテーマだったそうだ。