Who's got the new boy gender?


先月半ば、知人の知人がアイルランド出身の男性と結婚した、という噂話を耳にして、唐突にアイルランド系ブリティッシュ・ボーイであるところのGeorge Alan O'Dowd氏のことを思い出し、久々にYou Tubeで「Karma Chameleon」のPVを見たら自分内限定でボーイ・ジョージが核爆発並みの熱烈リバイバル・ブームを起こしてしまい、それでも足りずに情熱が突っ走ってスティーヴ・ストレンジに激突して止まった、現在はそんな状態。
やたらテンション高くへテロセクシュアル的恋愛を称揚するフランスの文化には、正直言って心情的な面でついて行けないものを感じるので、こういうモノセクシュアル・ビューティーは何故か見ていて癒される。(スティーヴはモノセクシュアルやアンドロジナスというより、むしろ無性的と言った方がよいかもしれない。)
ティーヴ・ストレンジ(Visage)の歌う「Fade to Grey」は、どうしてこの世界を知らずに三十数年間生きてきてしまったのだろうと思うくらい、自分の感性にぴったりと寄り添う曲だった。

何処とも分からない寂寞とした駅のプラットフォームに佇む、一人の男。遠くから聴こえる旋律に耳を傾けながら、人生があまり長過ぎないことを願っている……曲調も、途中に挿入される無機的な電子音も、英語訛の強いフランス語のナレーションも、モノトーンに沈んだ異郷の街への束の間のpassageという雰囲気を強めていると思う。どこにも属さずに、終着地もない移動をただ続けている人間の、恒常化されてしまった哀しみと言おうか。
ボーイもキャラクターとしては大好きだけれど、世界をただ真っ直ぐに信じることしかできないような歌詞と曲調は、実は私の趣味からは少し離れている。それでも、世の中の醜い側面をまるで知らないかのような、邪気の無い顔で笑っていた若い頃のボーイには、そういう世界観がよく似合っていたと思う。既存の「ありがち」な構造(例えば紋切り型の万能ナイフとしての「ジェンダースタディーズ」や「キュア・スタディーズ」)に頼ることなく、ボーイの「可愛さ」を語る道程がないか模索中(半分冗談)。