かつて製靴工場だった建物の取り壊しが、本格的に決定したようだ。昨年インターン研修をした現代アートギャラリー、Consortiumの事務所が入っていた場所である。(参照:http://d.hatena.ne.jp/baby-alone/20080627)アパートメント・コンプレックス計画(設計は日本人アーキテクト坂茂氏による)が、いよいよ着工するらしい。人気のなくなった建物は急速に年老いて、永年打ち捨てられていた廃工場の趣き。
  
 
フランスでは、日本のような廃墟(「廃屋」と言った方が適切かもしれない)をほとんど見掛けることがない。建物の耐用年数が余りにも長いので、住人が退いてもそのまま荒廃することはなく、すぐに「à vendre(売却中)」「à louer(借り主募集中)」の札が掛けられ、再利用に付される。ローマの遺跡などは由緒正しい「廃墟」だが、今日ではそれは立派な「文化遺産」である。そこにはローマの、イタリアの、あるいはヨーロッパ民族の歴史が固着しており、そして「文化財」として、半ば永遠の生を義務づけられている。余りにも意味が過剰なのだ。
打ち捨てられた建築としての廃墟は、あらゆる用途と社会的意味を喪失している。どこにも属していない零地点としての空間であり、やがて取り壊されるエフェメラルな形象である。ある種の廃墟がたたえる美しさは、隔絶性と儚さにあるのではないかと思う。
いろいろな隙間から撮り収めた写真はこちらに。
http://f.hatena.ne.jp/baby-alone/abandoned-places/
「身体がもっともエロティックなのは衣服の開口部である」と言ったのはロラン・バルトだが、建築廃墟が美しいのはその開口部(事故的に穿たれた不定形な崩落)ゆえではないだろうか。