esplorazione/esplosione タフーリ『球と迷宮』の誤訳?

球と迷宮―ピラネージからアヴァンギャルドへ (PARCO PICTURE BACKS)

球と迷宮―ピラネージからアヴァンギャルドへ (PARCO PICTURE BACKS)

実際、「考古学者」ピラネージの洞窟や地下、基礎構造物などへの関心とは、ただ偶発的なものなのであろうか?むしろ、古代建築における「隠されたもの」へのこのような関心とは、モニュメントの「根」の炸裂が主体の深部における炸裂と出会う場所の探求の隠喩なのだと読むべきではないか?
(上掲書、51ページ。)

È forse casuale, infatti, l'interesse del Piranesi "archeologo" per le caverne, i sotteranei, le sostruzioni? Non è da leggere piuttosto tale interesse per "ciò che è nascosto" nell'architettura antica come metafora della ricerca di uno luogo in cui l'esplorazione delle "radici" dei monumenti si incontri con l'esplorazione delle profondità del soggetto?
(Manfredo Tafuri, La sfera e il labirinto, Torino: Giulio Einaudi editore, 1980, p.53.)

邦訳は、esplorazione(exploration)とesplosione(explosion)の取り違えだろうか?実際には「「根」の炸裂」ではなく、「「根」の探索」。(まさか、自分の持っている原語版が誤植なんていうことはないだろうな……)
建築物の地中に隠された「深部」というテーマは、ローマの遺跡を目前にしたときに思い浮かんだもの。これは、ピラネージに顕著な建築の「下部構造」への観察の眼差しとも共振しているはずだ。そこで思い出したのが、タフーリの「根の炸裂」という印象深い一言だった。これが「根の探求」となると、また解釈の方向性が微妙に変わってくるような……自分の議論のベースとなるような重大な位置づけの参考文献は、ともかく一度原書に当たってみる癖をつけるべしということか。