コトリ

遠野物語・山の人生 (岩波文庫)

遠野物語・山の人生 (岩波文庫)

修士論文を無事提出した後の開放感から、パルミジャニーノの凸面鏡のあるコロニアルスタイルの喫茶店に座って、柳田国男の『遠野物語・山の人生』を読んでいたところ、ふと目に留った一節がある。

隠し婆は古くは子取尼(ルビ:ことりあま)などともいって、実際京都の町にもあったことが、『園大暦』の文和二年三月二十六日の条に出ている。取上げ婆の子取りとは違って、これは小児を盗んで殺すのを職業にしていたのである。何の為にということは記していないが、近世に入ってからは血取とも油取とも名づけて、罪なき童児の血や油を、何かの用途に供するかのごとく想像し、近くは南京皿の染附に使うというがごとき、いわゆる纐纈城式の風説が繰り返された。
(上掲書、117-118ページ。)

一方で数年前、インターネット上のフォークロア(都市伝説?)として流行したのが、「コトリバコ」という話。
「コトリバコ」まとめサイトhttp://blog.livedoor.jp/hako888/
からくり式小箱というかつての怪奇探偵小説風オブジェ、身体の一部や血による呪物というおどろおどろしさ、被差別部落への抑圧が仄めかすどす暗い心理的背景、現実の歴史的事件(隠岐騒動)への参照など、随分と小道具を上手く使った創作(おそらくは)という印象を受けるが、モティーフの一つの借用元はどうやら柳田民俗学にもあった模様。(あるいは、柳田が見聞したのと同根の伝承を、このエピソードの考案者も知っていたということか。)
この種の「オカルト的」な話の面白さは、超常現象そのものではなくて、むしろ「恐怖」や「不気味さ」を媒介項に、一種の共同幻想のようなものが形成されていく、そのプロセスにあると思う。