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Elizabeth Wanning HarriesのThe Unfinished Manner: Essays on the Fragment in the Later Eighteenth Century (U.P. of Verginia, 1994. http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/0813915023)を入手。廃墟熱(とりわけイギリスの人造廃墟ブーム)について論じた第3章Fragmentary Ruins, Ruined Fragmentsにひとまず目を通す。
そもそもこの書が中心的に論じているのは、18世紀イギリスの文学における「断片(断章)」ブーム。(人造)廃墟それ自体については、新しい事実や驚くほど独創的な見解が提示されているわけではない。立脚しているのは、ジンメルやスタロバンスキ(彼が論ずる廃墟を見るディドロ)、ロラン・モルティエといった、王道の廃墟(画)論だ。もっとも、この研究の功績は、同時代の異なる芸術ジャンル(文学と造園術・絵画)に共通する精神(断片性・non finitoなものへの愛好)を看破したことにあるのだから、論じられていないことについて難詰しても詮がないだろう。
上述の章で取り上げられるのは、アレクサンダー・ポープ、サンダーソン・ミラー、ウィリアム・チェンバース、ウィリアム・ライト(William Wrighte)ら。
Harriesに拠らずとも、すでに一般的に指摘されていることではあるが、鍵となる点をいくつか。
・「全体」を作り出すことの放棄。
・廃墟を通して観想される、過去・現在・未来への認識。(偉大な過去、現在もいつかは崩れ去る。)谷川渥の廃墟論でも、同様のテーマが詳しく掘り下げられている。
・廃墟の鑑賞を通じての歴史認識。「失われた文化への哀悼と、新しい文化を胚胎させ創造させようとする試みという、複雑でアイロニカルな過去認識(p.84)」。
・「芸術家としての時間」という概念。人間は「時の手」を模倣する。時の経過が人工と自然を調和させ、作品(ここでは人造廃墟だが、絵画における古色の問題にも触れられている)を完全なものにする。