入手文献

  • 磯崎新「幻想の建築家:ピラネージ」『SD』第155号(特集:イマジナリー・アーキテクチュア――G.B.ピラネージ)、1977年、25−28ページ。
  • マンフレード・タフーリ「G.B.ピラネージ――建築における否定のユートピア――」彦坂裕・八束はじめ訳、所収同上、45−60ページ。(Architecture d'Aujourd'hui n.184, Mars-Avril 1976に掲載された論文の全訳版。)
  • 新田建史「館蔵品紹介 ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ作『ローマの景観』」『静岡県立美術館紀要』第16号、2000年、11−47ページ。
  • 新田建史「景観図・平面図・眺望図――ピラネージの作画態度について」『静岡県立美術館紀要』第19号、2003年、30−36ページ。

ピラネージの描く"veduta"の、主として構図という面から、彼の都市・建築空間に対する態度を考察したもの。若き日に指示したジュゼッペ・ヴァージの《ローマ眺望図》などとは対照的に、ピラネージは都市景観の全体を一望の下に見渡すような構図(高所からの俯瞰構図)を採らない。観者の視野を覆うような大画面は、例えば《ハドリアヌス帝の霊廟》(『ローマの古代遺跡(Le Antichita Romane)』収録)のように、「図」的表現にのみ用いられる。
一方で、景観画を描くときのピラネージは、視点を低く取り、前景に配したモティーフの量塊感を強調し、奥行きを際立たせるような構図を採用している。ピラネージはここで、「描くべき対象の中に自ら没入していこうとする(35ページ)」のである。画業初期に受けた劇場デザインからの影響も伺えるこのような構図は、「空間の奥底へ、深く視線を送り込んでゆく(33ページ)」ための装置であった。
ピラネージにとって重要だったのは、都市・建築空間の「全体像を把握することではなく、その巨大な内部へと入り込み、細部にまで肉薄していくこと(35ページ)」だったのである。
新田氏は直接言及してはいないが、末尾の指摘は、18世紀の廃墟趣味と解剖学とを結びつけるBarbara M. Stafford (Body Criticism: Imagining the Unseen in the Enlightment Art and Medicine, MIT Press, 1991.)の論とも通ずるのではないだろうか。全体を外部から眺めるのではなく、空間の内奥へと進み、そこに存在するものを検分していく視線。