矢代幸雄『日本美術の再検討』

日本美術の再検討

日本美術の再検討

『藝術新潮』上に1958年1月から1959年3月まで連載された同題の論考を、単行本に纏めたもの。単行本化に伴い、「今日の美術史的知識からみて妥当とは思えない若干の箇所」に修正が加えられている。
「美術史と美術」と副題の付された序章は、「日本美術史研究に欠けているもの」という節から始まる。西欧の制度に比べて日本を「欠落」「劣後」と見る価値観は、ある種の「国際人」に共通なのだろう。

日本美術史の研究に於いて現在に至るまで最も欠けているものは、その最も大切なる作家の個人研究である。美術をつくり出す者は結局制作者個人であって、その個人個人の評伝を追及し、その様式の遺作を締め括っていかなければ、個人の名前のあまり伝わらない上代は別として、美術史というものは、いつまでたっても具体的にまとまってこないのである。(8−9ページ)

ヴァザーリ以来の(?)列伝史的な美術史観。西洋美術史における「巨匠の個人的評伝」というスタイルを、日本美術史記述にも適用すべきとする価値観。「泰西美術史」とパラレルな「日本美術史」の構築を試みた天心においても、すでに「西洋美術(史)」と全く等価なもの、共通の地平に載せうるものとしての「日本美術(史)」という価値観を読み取れるが、矢代の場合はさらにこれを推し進めた形だろうか。ちなみに、「名前無き美術史」とも言われる様式史観には、矢代はむしろあからさまに批判的であり、以下の引用部にもあるように、「芸術学的抽象論」として退けている。(劣後した存在である「日本美術史」への「西洋美術史」的方法論の導入と、「鑑定」手法の重要性を説くという、矢代のある部分を煎じ詰めて高濃度にしたような田中英道氏と矢代自身との最大の違いは、クラシック、ゴシック、ルネサンスマニエリスムバロックという「様式史」に対する信頼の有無のような気がする。)

これはなぜかというと、[…]ひとつには日本の大学の美学美術史にはドイツの芸術学的気風が強く入って、美術に対する芸術学的扱いが流行――というか、何となく新しい学問のような気がしているためではなかろうか。古くは慶応大学の優れた教授沢木梢、有名な東大の児島喜久雄等がドイツのウェルフリン[ヴェルフリン]の芸術学的の取扱いに非常に敬服して、たとえば美術史の基礎概念(ルビ:グルントベグリッフェ)というような学風を大いに日本に入れた。また児島や私がドイツに留学していた頃、"名前のなき美術史(ルビ:クンストゲシヒテ・オーネ・ナーメ)というのがはやって、個人作家の名前などは抹殺し、時代精神、時代意欲、それから来るところの様式発展史の如きものが、本当の美術史だなどと言われ、それがいかにも新鮮なる哲学的響きを持って聞こえた、斯くの如きが流行の先端をなしたためではなかろうか。(10ページ)

その一方で矢代は、次の節では「美術史から解放される美術鑑賞」をも説いている。無垢な眼、無垢な精神に信頼を置くかのような論調で、おそらく矢代の趣味人的な側面を表しているのではないだろうか。また(当時の)「現代美術」の潮流に対しても好意的であり、そこにはプリミティヴなものに「人間の本質」を見いだす態度が垣間見られる。

この自由なる新芸術世界に突入するためには、従来の美術の発展に対する固定した概念、即ち美術史的知識から完全に解放されることを要求し、新鮮溌剌たる感覚と心の発動とを持たなければならない。また過去の人間の所作を顧みるにしても[…]寧ろ従来未開野蛮と思われたものの中にもっと直截簡明にわれわれの心の奥にある原人的感覚に訴えるものを発見するのではないか、と考えるに至った。(14ページ)

「オリエンタリスト」への批判

即ち東洋美術というものは世界的に考えて、未だ芸術批評の対象とはなっていないで、主として単に東洋学の資料という見地から見られているに過ぎないのである。(16ページ)

芸術の普遍的価値と「無垢な」鑑賞態度について

美術というものは、人間の心から発して人間の心に通ずる世界性というか、人間価値というものが一番根底に横たわっているのであるから、あまりなる地方性や民族性の特殊扱い的強調は、それよりももっと大切なる人間価値を歪曲させて見せる心配がある。私は結局美術は何の但し書きもつけず、無邪気な心で接触させるのが最も大切であると思うのである。[…]私は[…]美術の本質への自然の道が忘れられないように反省したいと思うのである。(21ページ)

矢代は「無限の宝庫・日本美術史」と題された終章(もともとは、『藝術新潮』上の連載休止の挨拶文)も、「日本美術史にかけているもの」というタイトルの節で始めている。ここでは、序章で論われた問題に加えて、「明治以来の新日本の美術という問題も、日本美術史上において重要に取り上げられるべき」としている。多くの「日本美術史」の記述家たちが、明治以降の近代を記されるべき「歴史」から除外していたことと比べると、斬新な歴史(美術史?)意識なのではないだろうか。(こういう認識を最初に持った論者が誰だったのかは、今のところ不明。)矢代は明治維新の文化発展を、大陸文化を摂取して生長を遂げた飛鳥奈良朝に譬えているが、こういうところはとても「古典的」だと思う。
また、「工芸」というレッサー・アートの分野も「美術史」に参入させるべきと説く(305−306ページ)。矢代は柳宗悦らの民芸運動にも、シンパシーを示していた。
さらに矢代は、「日本美術の種々相に於いて、『日本美の探究』というような問題を一つ一つのテーマをとらえて考えてもみたい(307ページ)」とする。ここで例に挙げられているのは、『水墨画』の中でも展開されている日本美術における「滲み」(むらむら)の問題だ。この「日本特有」の技法を、矢代は日本の気候風土が生ぜしめた日本人固有の感覚に基づくものとしている。その際の「空気湿潤にして雨多く、水豊かに流れ、空には雲煙深く催し、霞や靄が軽く棚曳き、地上には樹影が濃いという国土」という描写は、志賀重昂の『日本風景論』に挙げられている日本の地理的特色を思わせる。

水墨画 (岩波新書 青版)

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日本風景論 (岩波文庫)

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