エトルリア神話

フィレンツェにおけるエトルリア神話:ノアによって建設されたエトルリアを、トスカーナ諸都市の直接の祖先とみなし、建国から約600年後、ノアの子孫であるエジプトのヘラクレスフィレンツェを創建したとするもの。フィレンツェ公国の二代目君主コジモ1世は、1540年代から50年代という限られた期間のみ、この「エトルリア神話」を文化政策に利用した。これには、当時敵対関係にあったローマに対抗すべく、ローマより古いエトルリアに起源を求めたという側面がある。また、宮廷での優先権を巡ってフェッラーラのエステ家と争っており、家柄の古さを主張する相手への抗弁として「エトルリア神話」が用いられた面もある。さらには、トスカーナ地方全体を単一の起源へと遡及させるこの神話は、トスカーナへの領土拡大を正統化する大義ともなった。
(参考:ブリジストン美術館2004年連続講演会「フィレンツェトスカナ大公国の都市と文化」より、北田葉子「トスカナ大公コジモ1世の文化政策」)