近代においても、国土が一つの現実として強固に浮上してくるのは、政治権力が国土なるものの統治を行い、また文学の言語がその内面的な現実を物語りはじめるときであった。力と言葉というものが互いに重なりあい、補いあいながら、国土の「実を定め」ていくのである。明治国家でいえば、その二〇年代にこのような国土の経験がひとつの運命共同体の意識をともない、大衆的な強制力をともなって浮上してくる。国土という抽象的な領域がまことしやかな実定性をもちはじめ、そこで人びとの内面や生ける体験が具体的に分節され、評価される特権的な「場」となっていくのである。
内田隆三『国土論』筑摩書房、2002年、6ページ。)