神話的な古代は近代という文化意識に随伴して、反復的に蘇生する悪夢めいた分身である。つねに自分自身を革新する運動としての近代は、絶えず伝統の切断をおこない時間的な連続性を断ち切ることによって逆に、アナクロニックな神話的古代の幻覚を生む。原形象のようなファンタスムはそこで遡行的に起源に措定されるのであり、歴史が象徴の頽落過程と見なされるにいたるのはその結果にすぎない。いわば死後の生を生きているファンタスムとしての古代とは、太古において熟知されていたが、そののち忘れ去られてしまった何かとして近代に回帰してくる「無気味なもの」にほかならない。
田中純『都市表象分析Ⅰ』403ページ)