Envisioning the Past: Archeology and the Image (New Interventions in Art History)
Sam Smiles (編集), Stephanie Moser (編集)
言語:英語
ハードカバー: 246 p
出版社: Malden, Oxford & Victoria: Blackwell Publishing
ISBN: 1405111518
刊行:2005/01/31

  • Privateer, Paul, Romancing the Human: The Ideology of Envisioned Human Origins, pp.13-28.
  • Scott, Monique, "We Grew Up and Moved on": Visitors to British Museums Consider Their "Cradle of Mankind", pp.29-50.
  • Pratt, Stephanie, The American Time Machine: Indians and the Visualisation of Ancient Europe, pp.51-71.
  • Phillips, James E., "To Make the Dry Bones Live": Amèdèe Forester's Glastonbury Lake Village, pp.72-91.
  • Arnold, Dana, Unlearning the Images of Archaeology, pp.92-114.
  • Dixon, Susan M., Illustrating Ancient Rome, or the Ichnographia as Uchronia and Other Time Warps in Piranesi's Il Campo Marzio, pp.115-132.
  • Smiles, Sam, Thomas Guest and Paul Nash in Wiltshire: Two Episodes in the Artistic Approach to British Antiquity, pp.133-157.
  • Glazer, Darren, A Different Way of Seeing? Toward a Visual Analysis of Archaeological Folklore, pp.158-179.
  • Bohrer, Frederick N., Photography and Archaeology: The Image as Object, pp.180-191.
  • Bateman, Jonathan, Wearing Juninho's Shirt: Record and Negotiation in Excavation Photographs, pp.192-203.
  • Earl, Graeme P., Video Killed Engaging VR? Computer Visualisations on the TV Screen, pp.204-222.
  • Gillings, Mark, The Real, the Virtually Real, and the Hyoerreal: The Role of VR in Archaeology, pp.223-239.

スーザン・M・ディクソンによるピラネージ論は、着眼点や方向性が自分とあまりにも似ていて驚いた。フロイト「文化への不満」からの引用部分まで被っている。異時間が混在する一つの(仮想的な)空間をuchronia(u-topiaは非-場所であるから、u-chroniaはさしずめ非-時間であろうか)と名付けているのが面白い。(わざわざanachronicという語を使わない理由は何だろう?)
この論考で中心的に扱われているのは、『古代ローマのカンプス・マルティウス』に収められた「イクノグラフィア」と題された地図/平面図である。これは、過去の様々な時点に存在していた(つまり同時には存在していなかった)様々な建築物のプランを、同一の平面上に配置したものだ。ディクソンはフロイトを引きつつ、この「ユークロニア」たる地図が、過去の復元というよりもむしろ古代ローマの記憶として読解しうるものであると言う。そしてまた、ピラネージは可視的な現在と不可視の過去との間に断絶を設けることで、過去を神聖化したのだと。既に多くの論者が「過去」の感覚は18世紀の所産であることを指摘しているが、ディクソンによれば、「ユークロニア」として描かれた古代ローマにおいては、過去は現在と切り離され神聖化されつつも、ローマのトポグラフィーと密接に結びついているのである。

いずれも18世紀において、二つの認識枠組の変化が起きたという。一つは、地図作成における革新。(例えばジャンバティスタ・ノッリやフランチェスコビアンキーニ。もっともディクソンは、ピラネージの手法はこの新しい地図パラダイムとも異なっているとする。)もう一つは、過去からのサヴァイヴァーである古遺物を、歴史記述の欠落を埋める忠実な証人とみなす歴史学(考古学)の態度である。

ディクソンは、現在にいたるまでの古代遺跡の表象に、「現在」と「復元された過去」という二つのモメントが存在することを指摘している。(そしてピラネージの特異性を、このような「過去」と「その後」の時系列に裂け目を入れ、過去のローマをあたかも異郷のように描いたことに見出す。)しかし、「可視的な現在」から「不可視の過去」を復元しようとする認識がいったいいつ頃発生したのかについては、残念ながら触れていない。