古くからの伝承や童話の場面を、老女とのキマイラのような身体を持つ少女たち(実際には特殊メイクと仮面を用いている)が演じた、モノクロームの写真と動画の世界。
少女と老女とは対極的な存在であるが、一方ではともに性的であることを免除されて、自らのまどろみの世界に閉じ籠りつつ生きる存在でもある。(例えば眠れる森の美女、あるいはバルテュスの描く眠りの中の少女たち。)第二次性徴前の滑らかな少女の肢体と、筋張り皺に覆われた老女の皮膚とを混在させた登場人物たちは、両極にあるもの、相矛盾するものの合一でありながら、同時に奇妙な調和を有している。

『無題』とされた作品群と、最後の展示室の映像インスタレーション『砂女』に共通するモチーフが、正面にスリットの入ったテントを被った少女(その身体の一部分は、老女のものと化している)である。移動型のカメラ・オブスクーラにも尖塔のようにも見えるこのテントは、茨姫やラプンツェルが閉じ込められている塔を、少女特有の繭の中のような閉ざされた世界観を、そして彼女たち自身の身体(まだ閉ざされてはいるが、他者の侵入を待期しているような)を、連想させるものではないだろうか。

老女と少女の身体の同時存在とともに、二者の役割が入れ替わったり、等価なものとなったりする作品もいくつか見られる。例えば、幼い少女が老女の指をしゃぶって検分している『グレーテル』。この作品では、少女と老女のどちらが牢獄の中にいるのか、判別しがたい空間構成になっている。カタログに添えられた一文を読むと、予想に反して萎びた指の方が「グレーテル」だと判明するのだが。あるいは、腹を割かれた狼の毛皮の中から、血みどろになった二人が現れる『赤ずきん』。(腹の裂け目に縫い付けられたチャックが、かろうじてこの迫真的な場面が「演じられた」ものであることを示唆している。)そこには、「オオカミの腹から救い出された2人は 生まれたばかりの双生児になっておりました」とのキャプションが付される。

老女と少女とは、作者やキュレイターも述べているように、伝承の中ではしばしば、老獪で冷酷な加害者(魔女や継母)とその無垢な被害者という二項対立を構成する。しかしその一方で、物語を語る祖母とその聞き手である孫娘という、循環構造も存在しているはずだ。祖母(老女)という存在は、言い伝えや昔話という自分自身の経験ではないような集合的記憶を、少女が自らの内に取り込むための媒介者であり、そしてやがて年老いた少女は、今度は自らが語り手の位置を引き受けることとなる。事実『砂女』は、祖母が語り聞かせた話の孫娘による再現(My grandmother said…)という形で、ナレーションが進行する。最後は少女が砂女に会いに外へと出て行く場面で終わり、この少女が祖母と同様の体験をすること、そして数十年後には物語る老女の位置にいるであろうことが示唆される。廃屋を思わせる壁の剥げかけた室内で、残酷な童話の一場面を繰り広げる老女と少女たちは、この対立と循環とを、ともに引き受けているのだ。それはまた、あたかも語義矛盾のような展覧会タイトル(ガルシア=マルケスの短篇「無垢なエレンディラと無情な祖母の信じがたい悲惨の物語」のパスティーシュ)に、端的に表れているだろう。

少女とは、未だ幼年期の夢の中に位置しつつも、他のいかなる存在よりも、暴力や残虐や死に近しい存在なのかもしれないと、ふと思う。

デュビュッフェによって「発見」され、シュルレアリストらの絶賛を受けたという「アール・ブリュット」。「狂気」や「病」(場合によっては「子供」や「未開」や「無教育」をも含みうる)という「われわれ」の社会の外部に位置するものに対し過剰にロマンティックな価値を付与しようとする態度には、異議と批判が加えられるようになって久しい。しかし今回の展覧会は、そのようなポリティカル・コレクトネス的あるいは構築主義的な問いを括弧入れし、ヘンリー・ダーガー斉藤環の言うファリック・ガール)やゾンネンシュターン(澁澤龍彦『幻想の画廊から』)というかなり人口に膾炙した画家から、作者不詳の作品まで50点あまりを展示している。

メディウムも表現形態も多種多様である作品に、それでも頻繁に現れ出ているテーマが、装飾性・紋様性への固執的愛好、空間恐怖と左右対称性、反復脅迫、そして人の顔と文字というオブセッションであろう。

中でも強烈な印象を残すのが、マッジ・ギルというイギリス女性のドローイングだ。編み物の目のような紋様が渦巻く中、その網目の隙間から、大小様々の虚ろな女の顔が無数に覗く。当時流行した交霊術の心得があったというギルはまた、刺繍や編み物という装飾紋様をめぐる手仕事に耽っていたという。反復と装飾と女性性をめぐる強迫が、そこには存在していたのかもしれない。(リーグルやロースら19世紀ウィーンの装飾をめぐる言説や、女性と手仕事との関連性を説くグリゼルダ・ポロックの論考を思い出させる。)

また、植字工だったというズドネック・コセックの紋様化された文字配置(カリグラム?)や、松本国三の文章としての意味を成さない文字の羅列、J.B.マリーの本人以外には判読不能だという文字の連続(シュルレアリスム実験による瀧口修造の、渦巻模様のような文字とよく似ている。このマリーなる農夫は、実はほとんど文盲であったらしい。)など、「文字」をめぐるオブセッションも興味深い。それは文字でありながら、多くの場合テクスト情報を伝達するという機能を欠落させており、ほとんど装飾パターンそのものと化しているのだ。

アール・ブリュット」という分節と命名の仕方を巡っては、多くの議論がありうるだろうが、しかしそれでも、どこか仄暗い芸術衝動(Kunstwollen)の奔出に身がすくむような気持ちになる展覧会であった。