花束の隠喩と蜜蜂の隠喩は、十六世紀と十七世紀に想像された相互テクスト的作業における二つの異なる行程と様態を示している。花束は加算的なもの、アッサンブラージュ、「ブリコラージュ」の記号である。これに対し、芸術家-蜜蜂が生みだす「詩的な蜂蜜(poetica mela)」は、同化と変形の所産である。彼は「錬金術的」な引用という責務を引き受けているのだ。
花束と「蜜のごとき混淆(mellifica mixtura)」という、二つのパラダイム的なイメージにある意味で対応しているのが、博識な知の環境で展開された、引用の融合度をめぐる議論である。それと分かる現実としての引用(引証アリゲイション)と、変形された「借用」(追想レミニスンス[他の作品を想起させる箇所]とも言う)の間には、根本的な相違、詩学的なレヴェルでの相違がある。引証を乱用することは、あらゆる人々の痛烈な批判にさらされたのである。
(ストイキッツァ『絵画の自意識』212頁。)