新古典主義のドラフツマンたち

  • ジャン=ロラン・ルジェ(Jean-Roland Lejay?スペル未確認:生没年不詳)

古典古代のローマの姿を幻想的に描いたドローイングを残す。1737年〓42年頃までローマ滞在。若き日のピラネージに影響を与える。ローマを去った後、プロイセンのフリードリヒ大王に雇われる。

■1740年代のローマ・フランス・アカデミーの図面家たち(ルジェとピラネージに影響を受け、後にはブロンデルの美術学校に関与)
ルイ=ジョセフ・ル・ロラン(Louis-Joseph Le Roland:1715-59)1740-49年ローマ滞在、ピラネージと接触。代表作はシネアの祝祭劇のための舞台装置。

  • ガブリエル=ピエール・マルタン・デュモン(Gabriel-Pierre Martin Dumont:1720-90)1742-50年頃までローマ滞在。ルジェとの接触あり。代表作は『芸術の神殿』(1746)→
  • シャルル=ミケランジュ・シャル(1718-78)1742-49年ローマ滞在。『ローマの構成』(1746)
  • ニコラ=アンリ・ジャルダン(Nicolas-Henri Jardin:1720-99)1744-48年ローマ滞在。『凱旋橋』(1748)
  • エスモン=アレクサンドル・プティット(1727-1801)1746-50年ローマ滞在。シネアの祝祭劇のための舞台装置デザイン(1749)。

■1750年代、ブロンデルの美術学校の学生たち

  • マリー・ジョセフ・べイール(1730-85)1753-56年ローマ滞在。アカデミア・ディ・サン・ルカのコンペ入選作(1753)、ヌボール邸(1762年)コンデ邸(1763年)など。1765年作品集刊行、墓の設計案あり。
  • シャルル・ド・ヴァイイ(Charles de Wailly:1730-98)『宮殿の計画案』(1752:フランス時代)、『モントミュサール城』(1764〓)、『フランス劇場』(1767〓:ベイールとの共作)→http://www.theatre-odeon.fr/public/document/biograph/wailly.htm
  • ウィリアム・チェンバース(William Chambers:1723-96)1753年来ローマ。『フリードリヒ大王のための墓』(1751-52)など。ピラネージやクレリソーらと親交。新古典主義のイギリスを代表する建築家。
  • ロバート・アダム(Robert Adam:1728-92)1754-58年ローマ滞在。古代建築のディテールを用いて自由な構成を作り出す独自の様式を創出した。新古典主義時代のイギリスを代表する建築家。→Robert Adam biographyhttp://www.eurus.dti.ne.jp/~kn1/classical_revival/cr_photo/r_adam_ruin/index.htm
  • ジョージ・ダンス・ジュニア(1741-1825)1759年より数年ローマ在。ニューゲート監獄(1769〓)など。

建築稀覯本オンラインストアhttp://www.hughpagan.com/go/catalogue_8.php