明治期におけるナショナル・アート・ヒストリーの樹立

1871:町田久成ら、「古器旧物」の保存を訴える太政官宛の献言書。「集古館」設立構想。
→「古器旧物保存方」
寺社財産の捕捉とウィーン万博出品の目的。「文化財」概念によるものではない?
1872:博覧会場を恒久展示施設とする形で、集古館構想の実現=博物館
1880:社寺保存内規制定。保存すべき「古社寺」を定義。
1888〓1897:臨時全国宝物取調局(宮内省)による保存対策目的での調査。「歴史上・美術上重要な」宝物の選定。→1933の「重要美術品等の保存に関する法律」
1895:古社寺保存金出願規則→従来の年代の古さ重視から、「由緒」(特に皇室との関わり)重視の定義に。
伊東忠太:古建築の保存を「国家観念の涵養」と「旧国たることの誇示」のために求める。

  • 愛郷運動

1900年前後の盛り上がり
日清勝利によるナショナリズム高揚
観光名所という概念
志賀重昂『日本風景論』(ISBN:4861810116
国木田独歩『武蔵野』(1901)(ISBN:4108300866