ほとんど画家

やがてリドヴィナは膝でいざることも、箱や椅子にしがみついて動くこともできず、ベッドのなかで寝たきりになったが、そういう状態が死ぬまで続いたのであった。脇腹の傷が癒着せずに、いっそう悪化し、そこに壊疽ができた。そして腐爛した腹の皮のしたから蛆虫がわき、椀の底ほどの大きさの丸い三つの潰瘍のなかで繁殖した。そのふえ方は怖ろしいほどで、ブルフマンによると、まるで沸騰するようにうごめいたという。蛆虫は糸巻棒の先ほどの大きさで、身体は灰色で水気があり、頭が黒かった。
ユイスマンス『腐爛の華』田辺貞之助訳、国書刊行会、1994(初版1984)52頁)

くじけて肩からもげそうになったキリストの両腕には、よじれた筋肉が革帯のように幾重にもからんで、付根から手首まで、ぎりぎりと締めつけているように見えた。脇の下は裂けて破れ、大きく開いた掌は、不気味な指をふりながら、祈願と叱責をまじえた仕草で、なおも祝福を与えていた。胸はねっとりと脂汗にまみえてふるえ、胴体はまざまざと見てとれる肋骨によって、幾筋も深い輪型の溝をえがき、粉をふいて青く変色した肌はいったいに腫れあがって、蚤のくった跡が黴をおもわせ、笞の切先が一面に針でついたような斑点をちらし、なお皮膚に喰いいって折れたままのとげがあちこちに残っていた。
ユイスマンス『彼方』田辺貞之助訳、桃源社、1974.10頁.)

血膿の時期がきた。特に脇腹の長くえぐれた傷は、深い流れとなって、黒ずんだ桑の実の汁のような血が腰のあたりにあふれ、ばら色の漿液や乳漿や灰色のモゼール酒めいた膿汁が、胸からしみだして腹をひたし、そこにはリンネルの布がだらしなくみだれて、べっとりと下腹に波うっていた。それから、無理に寄せあわせた両膝は膝蓋骨を打ちあわせ、足首までえぐられてねじれた脛は長く折りかさなって、腐爛の極に達し、血膿のあふれるなかに緑色を呈していた。海綿状にふくれて硬直した足はさらに凄惨であった。皮膚には一面に吹出物がして、釘の頭を埋めるほどにはれあがり、足指は両手の嘆きうったえる仕草を裏切って、呪詛の相をあらわし、チューリンゲンの赤土に似た鉄分のかった錆色の土を、蒼ざめた爪先がほとんど掻きむしりそうにしていた。
(同上)

偏執狂のような網羅的な列挙と、緻密な描写を特徴とするこの作家は、オランダの画家の一族に生まれ、「ペンによる画家」を標榜して文筆生活を始めたのだそうだ。