映画

車窓に映る自分の顔

夜汽車の窓が鏡面と化すというテーマに関して、今までご教示頂いた作品。 ジャック・ターナー『ベルリン特急』 テレンス・デイヴィス『ネオン・バイブル』 クロード・ルルーシュ『男と女』 イングマール・ベルイマン『沈黙』 下のリンクは、映画通の先輩が見…

「窓ガラス」のテマティックに関連して、お勧め頂いたヒッチコックの『バルカン超特急』を観る。 憶えることと忘れること、視覚的記憶の確かさと聴覚(的記憶)の不確かさや機能不全というテーマが横臥しているように思う。 外国語であるが故に、あるいは周…

corps morcele

ヒッチコック-シャブロルのラインで思い出したこと。二人とも、フレームによって登場人物の身体を分断するときのやり方が上手いのだ。例えば『見知らぬ乗客』の冒頭での、膝下だけの脚が、駅の雑踏を足早に歩んでいくシーン。「見知らぬ乗客」ブルーノ(と後…

ジャン・コクトーの『オルフェ』(1949年)を観る。ギリシア神話に登場する詩人オルフェウスの冥界巡りを、現代(最初の戯曲執筆時は1926年)を舞台にリライトしたもの。「鏡」がテーマの映画を挙げるならば、必ず言及されるべき作品だろう。此岸と彼岸の境…

もはや「誰の得になるんだ?」という感じだが、気付いてしまったので。 ヴィスコンティ作『地獄に堕ちた勇者ども』での、ナチス高官が自動車から降りるシーン(左の動画の冒頭)が、右のPVの50秒近辺で「引用」されている。肩章付きのベルテッドジャケットに…

ヒッチコックの『見知らぬ乗客』を観る。自分のような門外漢が論じるまでもないほどの著名作だが、気付いた点をいくつか。 類似のシーンが二度(あるいは複数回)繰り返される。一度目は重要な出来事の伏線として、二度目は単なる無意味なエピソードとして。…

leisure and pleasure

左はスタンリー・クレイマー制作、マーロン・ブランド主演の『乱暴者(The Wild Ones)』(1953年)がダイジェスト的に紹介されている映像(ナレーションはフランス語)、右はアメリカを震源地にMTVカルチャーが開花した時代に作られた、Visage「Pleasure Bo…

夜にはキャンパス内のホールで、クロード・ランズマンのフィルム上映と、ご本人を招聘してのディスカッションがあった。上映されたのは、「Sobibor, 14 octobre 1943, 16 heures(ソビボル、1943年10月14日午後4時)」。「絶滅収容所」と呼ばれたソビボルか…

ペドロ・アルモドバル『LOS ABRAZOS ROTOS』(仏題は「Étreintes brisées」、英語圏では「Broken enbraces」と訳されている)を観てきた。気付いたことをいくつか。 「映画を撮ること」と「過去を語ること」が映画内で作り出すメタ構造 説明的に用いられる「…

『TOKYO!』監督ミシェル・ゴンドリー、レオス・カラックス、ポン・ジュノ http://www.tokyo-movie.jp/ 3編のオムニバス映画。「東京」という舞台装置は勿論だけれど、上手く歩けない身体という点でも3作品が繋がっていたところが面白い。ただ、どの作品も「…

カンヴァセーションピースとシアトリカリティ

Peter Greenaway監督のLa ronde de nuit(Nightwatching邦題レンブラントの夜景)を見てきた(といっても、もう2週間以上も前の話だ)。『夜警』の製作背景を中心に、画家レンブラントの生涯を描いたもの。 最初の場面は、劇場の舞台と思しき空間の中央に設…

裏窓の隣人

今フランスで流行っているらしきRenan Luceという歌手の『les voisines』という曲のヴィデオクリップ。「お隣さんは男より女の方がいいな〜」と延々リフレインし、彼女がベランダに可愛い下着を干しているのを眺めるのが楽しみだから、自動乾燥機を発明した…

河瀬直美『殯(もがり)の森』 周囲の仏人たち(なぜか3人も)が絶賛していたので、街の外れにある「黄金郷」という名の映画館で見てきた。 ストーリーを簡単に言ってしまえば、33年前に死別した妻の不存在という(そして妻の死後も自分は存在し続けなけれ…

Henri storck, "Paul Delvaux ou les femmes defendues" ベルギーのシュレアリスム的画家、ポール・デルヴォーについての25分の短篇ドキュメンタリー。前半はデルヴォー自身による制作過程や描画モティーフについての語り、後半はアフォリズムめいたナレーシ…

『サンセット大通り』ビリー・ワイルダー監督、1950年(goo映画)いまや忘れ去られたサイレント時代の映画スターの、過去の栄光への妄執を、老いの見えはじめたグロリア・スワンソン(彼女自身もサイレント時代に活躍)が演ずる。このフィルムの供給元でもある…

テリー・ギリアム『ローズ・イン・タイドランド』(公式サイト) 不完全な、あるいは壊れたガラクタばかりで構築された、想像上の王国。自己完結した児戯で済まされなくなったら、夢の王国の支配者ではいられなくなってしまう。 覚醒剤による幻覚体験とてん…

立教大学タッカーホールで行なわれた、ヴィム・ヴェンダースの講演会へ。まずはオムニバス映画『テンミニッツオールダー』に収められた、『12 miles from Trona』が流れる。誤って向精神薬入りのクッキーを大量に食べてしまった男が、一人自動車に乗って病院…

『都会のアリス』ヴィム・ヴェンダース監督、1974年 はじめは何も写らない、そして浮かび上がる映像も結局は「見たものとは違う」ポラロイド写真、望遠鏡越しに覗き見られるニューヨークの光景、映画の画面の中で絶え間なくトラッキングするテレビ、空港内で…

『プラーグの大学生(Der Student von Prag)』シュテラン・ライ監督、1913年。 美しい伯爵令嬢を手に入れるため、大金と引き換えに鏡像を売り渡した青年が、不意に姿を現す自らの鏡像/分身によって破滅に至る物語。金銭と交換に悪魔に自らの分身を売り渡す…

パゾリーニ監督によるフィルム『リコッタ』を観る。(4人の監督によるオムニバス『RoGoPaG』の中の一篇である。)ジャーマンの『カラヴァッジオ』中の活人画シーンに示唆されて、突発的に類似テーマを扱った作品を観たくなったのだ。キリスト受難劇を扱った映…

デレク・ジャーマンによる『The Angelic Conversation』を見る。圧倒的にうつくしい画像に、囁き声の朗読が時折絡む。(シェイクスピアのソネットだという。)愛し合う男同士、まるでゴルゴダ行きのキリストのように、木材を背負って歩いてゆく孤独な面持ち…

『イジー・トルンカの世界3』を観た。「楽しいサーカス」(これはパペットアニメーションではなく、セルアニメ)の幻想的な図柄がとりわけ良い。無表情でどこか虚無的な面持ちの観客たちとか、機械仕掛けの蝶々のような軽業師とか。

シュヴァンクマイエルの『オテサーネク』を観た。汚物というか、アブジェクシオンみたいなものにしか見えない食物の写し方が秀逸。食べ物のはずなのに、なんかもう吐瀉物とか糞便とか精液みたいなのだ。食欲が悪魔的に肥大化した切り株赤ちゃんオテサーネク…

デレク・ジャーマンの『カラヴァッジオ』を観る。絵画制作の過程をカメラで捉えた、一種のメタ絵画映画だ。カラヴァッジョ作品を既知のものとする眼には、絵画モデルとして登場する人物群像が、むしろ活人画として見えてしまうという倒錯。画布という表層上…

イジー・トルンカ『短編集2』 安楽椅子の人造人間おばあさんが微笑ましくもキッチュな「電子頭脳おばあさん」他三篇 デレク・ジャーマン『ザ・ガーデン』 どこか不吉さを湛えながらも、美しいイメージのモンタージュ。ゲイへの迫害が、キリストの受難に重ね…

ドキュメンタリー・ビデオをふたつ見る。インスタレーション作家である川俣正を取り上げた『KAWAMATA PROJECTS』(参考ページ)と、写真家カルティエ=ブレッソンを扱った『アンリ・カルティエ=ブレッソン――疑問符』。

山本政志『ロビンソンの庭』1987 植物に侵食されてゆく廃墟ビルと、狂気の病に冒されてゆく主人公が壮絶。うだるような真夏の光景と相俟って、奇妙な生命力とエネルギーに満ちている作品。ティム・バートン『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』1993 普通…

今日も上映会のため横浜へ。印象に残ったのは、五島一浩『FADE into WHITE #2』(無彩色の強烈なコントラストと、機械仕掛けの人形自転車の奇妙な造型が美しい)、スタン・ブラッケージ『ドッグ・スター・マン プレリュード』(何かの接写のような不可思議な…

横浜美術館にて映画祭。午後のプログラムが、クェイ兄弟の『ストリート・オブ・クロコダイル』(いつ見ても秀逸なイメージ群。埃の積もったガラスのパサージュ空間がとりわけ美しい)、イジー・バルタの『手袋の失われた世界』(子供のころ、よく物を擬人化…

『10ミニッツ・オールダー 人生のメビウス』

7人の監督によるオムニバス。ヴィクトル・エリセの作品が出色。ビデオ『パリ・テキサス』ヴィム・ベンダースビデオ『鏡』アンドレイ・タルコフスキービデオ『ドン・ファン他短編集』ヤン・シュヴァンクマイエル