【メモ】

 

松本卓也『享楽社会論』から。

ラカン派の精神分析家、ジャック=アラン・ミレールは、「普通精神病」という新たな用語を提唱するに際して、興味深いことを言っている。前提としてミレールは、統合失調症の軽症化のような現状を前に、現代的な精神病の徴候を、「脱接続というモード」に見出している。

①社会的外部性:社会のなかに固定した位置を占めない(社会や共同体からの脱接続、あるいは過剰な同一化、「職を持つことは〈父の名〉)。ミレールは昔からよく観察されていた統合失調症者の放浪の代表例として、ルソーを挙げている。

 

②身体的外部性:「身体」という視点から興味を引かれたのがこの部分。以下、松本によるミレール理論の紹介の文章を抜粋。

普通精神病では身体が自己に接続されず、ズレをはらむことがある。この実例は、ジョイスが『若い芸術家の肖像』のなかで記述した、自己の身体が崩れ落ちるような体験である。このような身体の不安定性に対する対処行動として、ミレールは「タトゥー」を挙げている。つまり、彼らにとって「タトゥーは身体との関係における〈父の名〉になる」のである。

(上掲書、42ページ)

 

③主体的外部性:独特の空虚感

 

(途中)

都市というテクストと作品というコンテクストの相互作用

ウェブ検索でたまたま見つけた次の論文、「都市というテクストのコンテクストとしての作品」という視点が提示されていて、示唆を受ける。

渡辺裕「「文学散歩」と都市の記憶 : 本郷・無縁坂をめぐる言説史研究」、『美学藝術学研究』第35号、東京大学大学院人文社会系研究科・文学部美学芸術学研究室、2017年:https://doi.org/10.15083/00047661

作品というテクストが最終的な審級として存在し、都市の方はそれに付随する副次的なコンテクストにすぎないならば、文学散歩はせいぜい、背景を知ることによって作品の味わいを増す程度のものだということになろう。しかしながら、作品と都市の相互作用のメカニズムを明らかにしようというわれわれ の立場からするならば、文学散歩は、作品を現実の都市と結びつけ、重ね合わせる体験のできる貴重な場であり、そこにおいて作品がコンテクストとして都市というテクストの表象を豊かに作り上げてゆくと同時に、今度はその体験が作品の側にも投げ返され、その表象を変えてゆくというダイナミックな関係が、まさに生み出される場にほかならない。そのあり方を具体的な歴史相の中で捉えてゆくことによって、芸術作品が都市の記憶の形成に関与するメカニズムを最も端的に示すことができるのではないだろうか。別の言い方をするならば文学散歩は、文学作品という背景との関わりの中で都市の表象を作り出し、また都市という背景との関わりの中で作品の表象を作り出すことによって、それらをわれわれの記憶に刻み込んでゆく触媒装置として機能しているのである。

 

啓蒙思想家たちと「散歩」 散歩をするディドロ

一年前の文章の続き。

今書いているテクストに関係あると思ったらあまり関係がなくて、書架に戻そうとした本(ラクー=ラバルト『近代人の模倣』)に、ふと「啓蒙思想家たちと散歩」というテーマに関連する一節をみつける。ディドロ(による執筆とされる)『俳優に関するパラドックス』で、フィクショナルな「対話者」どうしが、ともにただ黙々と歩くという場面である。

われらが二人の対話者は芝居に出かけたが、席がなかったのでテュイルリーへと向かった。彼らは少しのあいだ黙々と散歩をした。二人は一緒だということを忘れはてたかのようであった。自分一人しかいないかのように各々が自分相手に会話をしていた。
(大西雅一郎による訳より孫引き、11ページ。)


Nos deux interlocuteurs allèrent au spectacle, mais n’y trouvant plus de place ils se rabattirent aux Tuileries. Ils se promenèrent quelque temps en silence. Ils semblaient avoir oublié qu’ils étaient ensemble, et chacun s’entretenait avec lui-même comme s’il eût été seul …

Wikisource, Paradoxe sur le comédien, Paradoxe sur le comédien - Wikisource

 

沈黙しつつのぶらぶら歩きが(とはいえ、テュイルリーという目的地は定まっているのだが)、それぞれの「対話者(interlocuteur)」の内に、「独話」や「内的対話」としての思考を生じさせるのである。

もっとも、この部分を引用したラクー=ラバルトの主眼は、ミメーシス論、演劇論(そのパラドックス)にある。ディドロのテクストの語りが、二人の対話、独話、内的対話のダイナミズムから構成されていることへの言及はあるが、「散歩」については触れられていない(まあ、当たり前だろう)。

 

 

川本三郎荷風と東京』文庫版上下2巻が届いた。荷風には「江戸的なものに固執し、モダニズムに乗り遅れた作家」だという印象を抱いていたのだが、それは作家自身による一種の韜晦で、実は(けなしつつも)都市のモダニズム的側面にフットワーク軽く参画し、精緻に観察していたということを知る。


荷風が晩年を過ごした市川は、当時(終戦後〜1950年代)はまだ田園風景の広がる土地だったという。「郊外の住宅街」などではなく、はっきりと「田舎」であったようだ。私は2010年代半ば以降の、ベッドタウンとしての市川しか知らないので、隔世の感がある。文学から土地の記憶を想起することは、すでに失われたものの面影を求める作業なのだろう。(「聖地巡礼」のような今日的な「コンテンツ・ツーリズム」とは、まったく異なるテクストと土地と記憶のあり方だろうと思う。)


荷風はいち早くカメラを入手し、それを携えて「散歩」をしていたという話には、たいそう興味を惹かれた(澁澤龍彦『思考の紋章学』にも言及があるそうだが、記憶にない。たぶん読み飛ばしたのだろう)。荷風撮影の写真は、私家版『墨東綺譚』や岩波版『おもかげ』(ともに1930年代半ば)に収められているそう。川本三郎は、萩原朔太郎荷風を比較している(芸術写真の朔太郎に対し、風景を記録するための写実写真が荷風)。見た情景を写真に撮る、あるいは写真のようにものを見るテクストの人という点では、マクシム・デュ・カンなども思い浮かんだ。日常風景の荷風と、異郷の旅のデュ・カンという違いはあれど。


写真と都市小説といえば、アンドレ・ブルトンの『ナジャ』初版刊行が1928年、荷風が自身の撮影した写真入りの小説・随筆を刊行したのが1930年代半ば、カメラの普及が文学にもたらした新たな形式の、国際的な拡がり(直接の影響関係に限らず)というのもあるのかもしれない。荷風はもちろんフランス語を解し、翻訳も手がけていたそうだが、ブルトンなども読む人だったのだろうか?
『ナジャ』はもちろん、安部公房の小説と写真の関係などもよく論じられていそうだけれども(覗き見する主人公とカメラの類似性など)、「永井荷風と写真」はどうなのだろう。川本三郎は、荷風は「徹底した「見る人」」であり、それは写真機を「現実との絶好の遮蔽物」にするような見方であった、としている。

 

タクシーの登場(そして深夜になると値下がりする当時の料金体系)が、東京の夜を深くし、「夜型都市」にしていったという指摘にもはっとさせられた。モダニズム文学に夜の都市をあてどなく逍遥する場面が多いのは、(深夜まで開場している映画館や劇場、カフェーなどの存在に加えて)そのような社会的インフラをめぐる現実に支えられてのことだったのか。

南大沢でワクチン接種の後、そのまま京王線駒場博物館の「宇佐美圭司:よみがえる画家」展へ。

逸失(廃棄処分)でニュースになった本郷学生食堂の例の絵画だけでなく、しばしば目にする人文書や文学作品の装幀も、そういえば氏の手掛けたものであったことに気付かされる。

絵画作品数点、地図をパズルのようにくり抜いた立体作品、レーザー光線とアクリル板のインスタレーションを眺め、NHKが制作した「画家のアトリエ」宇佐美回の映像を見る。輪郭線、ステンシル、それからプランということについて、しばし考えてみる。
作品の保存修復における部品交換の問題を、「テセウスの船」の比喩で説明したパネルの文章が、「ああ、なるほど」と腑に落ちる(「自己を構成する部分の交換」と「自己同一性」の問題に共通する問いの比喩であろう)。

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本郷食堂にあった絵画《きずな》は、学部専門課程生の頃、何度か目にした。食事をしながらふと目に入るたびに、「これは絵画なのか、ポスターなのか、それとも何かの模式図なのか」と不思議に思ったことを覚えている。特徴的な人物のシルエットが反復されていること、三層構造の構図で、階段のようにも見えるパーツや、人物像を繋ぐ赤線が入っていることなどが、「模式図」めいていたのだろう。一言でいうと、それまで自分の知っている「絵画」の系統からは外れた一枚だったということだ。古典的な具象画でもなく、いわゆる「現代美術」の系譜でもない、一瞬「これはなんだろう」と思わせるが、強烈な謎を突きつけるドギツい(?)アヴァンギャルドでもないような。

展覧会場を出たあと、少しだけ構内をうろつく。近年は新しい施設も増えて、整然としたどこか息苦しいキャンパスになりつつある印象だったが、久しぶりに訪れた晩夏の駒場は、鬱蒼と繁茂する自然と、古びてインスタントな機能から解放されたように見える建物と、ただ長く続く時間とが、溶け合いながら微睡んでいるような、四半世紀前と変わらぬ、心落ち着く場所だった。 

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Bunkamuraザ・ミュージアムの「マン・レイと女性たち」展へ。

著名な写真(《ガラスの涙》、《アングルのヴァイオリン》、ココ・シャネルのポートレイト……)やレディ・メイド作品(メトロノームに眼の写真を貼り付けた《破壊されるべきオブジェ》、アイロンに棘を貼った《贈り物》)、ソラリゼーションなどは講義でもよく紹介していたが、彼の活動の全貌については、ほとんど知らなかったことに気づく。デッサン、油彩画や版画(エッチングリトグラフ)、ブロンズなどの立体作品、さらにはアクセサリーのデザインも手がけていたことを知る。ウクライナベラルーシユダヤ人の移民2世で、マン・レイは第二の名前であることも初めて知った(ペンネームというわけではなく、一家で苗字をレイに変えたとのこと)。

自身(の名)をずらすこと、ずらす身振りによって「謎」を提示すること。自身(の記号や代理物)を用いて遊戯をすること、などについて考えさせられる。(マン・レイのモノグラフィー研究でもシュルレアリスム研究でも、すでに散々論じられていそうではあるが。)「謎」は謎であることが明らかだからこそ、解くべき「謎」たりうるのであって、完全に隠匿されていれば「謎」ですらない。「謎があること、謎であることの顕示」に、マン・レイは長けていたと思う。

マン・レイの写真には、マネキンや彫刻を写したものも多いが、それと同時に、「人間を人形や彫刻のように写している」ように思われる。身体の一部分を切り取った作品(女性の臀部をクロースアップした《祈り》など)でも、ポルノグラフィックだとかエロティックでは決してなく、ただ物質や表面のマティエールがそこにあるという感じ。ソラリゼーション技法や、ゼラチンシルバープリントの質感が、いっそう彫刻的・人形的な質感を強調しているのかもしれない。

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朝日新聞夕刊のリレー連載「にじいろの議」に寄稿いたしました。「空想散歩の歴史をたどる:居室から広がる「体験」」と題して、コロナ禍で一気に普及したヴァーチュアルヴィジットから、空想旅行や空想美術館の系譜を辿ります。
https://digital.asahi.com/articles/DA3S15007494.html
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この記事でも少し言及しているグザヴィエ・ド・メーストル『居室周遊紀行(部屋をめぐる旅)』、ルリユール叢書から9月末に邦訳が刊行されるとのこと。
https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784864882316